2013年4月1日月曜日

源氏の「源(みなもと)」の語源もインド語



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    121~122頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《源氏の「源(みなもと)」の語源もインド語
 「源氏の「源(みなもと)」の語源もインド語


 鹿児島のトカラ諸島の中に、

 臥蛇島と書いて「ガジャ島」という、変な名の島がある。

 その文字からいけば寝た蛇ということになるが、

 蛇は横に長くなっているのが当然の動物、

 それが臥せっていても何も名前にするほどの特徴はない。

 だからこの臥蛇は、単なる当て字だとわかる。

 では、それは何に当てた当て字なのか?

 私(加治木義博)は船でその島を眺めながら通ったことがあるが、

 その特徴は一方の岩壁が、像の頭部そっくりなことである。

 その像はインド語で「ガジャ」という。

 そして「ミナ」をつけて「ガジャ・ミナ」になると、

 それは鯨のことになる。

 ミナは水のことで、水中の象=鯨という意味なのだ。

 すると水を「ミナ」というのは、

 いま見たばかりの水門をミナトと読むのも、

 水上さんをミナカミさんと呼ぶのも、

 インド語だということになる。

 それなら嶋津家の初代忠久の父である頼朝の姓、

 「源」のミナもインド語だったのだ。

 その源氏は天皇家から分かれたのだから、

 天皇家の言語にインド語が入っていたという証拠で、

 景行天皇の名の大足彦がウッタラ日子。

 仲哀天皇の足仲彦がソナカ日子であることは動かない。

 大足(ウッタラ)も足仲(ソナカ)もまたインド語の名だったのだから……。

 その源頼朝に仕え、頼朝の非情に失望して建久三年出家した

 熊谷二郎直実(なおざね)は埼玉県熊谷市の人だが、

 このクマガヤ始め

 東京都の阿佐ケ谷、古千ケ谷、千駄ケ谷などの「ガヤ」も、

 インドの釋迦の遺跡「ブッダ・ガヤ」の地名でわかるとおり、

 インド語の地名なのである。

 篤姫の嫁いだ徳川家も源氏だが、

 これもインド系だとわかっている。

 それは本拠地が駿河(するが)だからである。

 駿河は漢音で読むと「シュンガ」、

 これはマウリヤ王国が崩れて、

 東部に生まれたシュンガ王国と全く同じ名の国名である。

 徳川政権の政策基盤になった士農工商は

 インドの「四姓(カースト)」とは多少違うが全く同じ発想で、

 四階級に分けた所まで同じである。

 そしてこのことが重要なのは、

 アソカ王時代から数世紀後のシュンガ時代以後に、

 疑問の余地なく、少なくとも駿河の国を構成し、

 維持したほどの人たちが、

 やってきていたという事実がわかることである。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿