2013年4月20日土曜日
古代科学が残した文化財「霊域(れい)ライン」
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
155~156頁
「7章 超国際人だった古代屋久島人」
《古代科学が残した文化財「霊域(れい)ライン」》
「古代科学が残した文化財「霊域(れい)ライン」」
この稲敷が、
中国の商帝国と凄いラインで固く結ばれていたのである。
北緯36度線の真上を西へ、
稲敷郡の阿見町にある福田貝塚からメートル法で
2200キロきっかりの間隔を置いて、
商帝国の大遺跡「殷墟(インきょ)」があるのだ。
これは商の帝都から見ると稲敷は真東にある。
太陽の昇る所だ。
殷の名に結びつく稲を栽培する人々 にとって太陽は尊い神である。
それを祭る式場がある場所、という名を稲敷はもっている。
そのあたりは日の昇り始めるところ。
日立という名も一連のものに違いない。
だがその中間は一面の海である。
今から3000年を超える古代に、
一体どうして測ったのであろうか?
いまのイラク南部に栄えたカルデアは、
より古くから天文学が進み、
天体を観測して、方位や距離を計り、航海をしていた。
重い貝貨幣を中国まで運んでいた人々は、
当然海に馴れた海洋生活者で、
それには天文知識が欠かせなかった。
その主力商品の宝貝は学名をコウレーという。
高麗はそれに対する当て字にぴったりで、
今、韓国朝鮮をコウレアンと呼ぶのも、高麗人の英語化である。
古代のその人々は、
宝島あたりの南西諸島を根拠地にしていたから貝にタカラの名がつき、
高麗がコウレイとタカラと双方に読め、
また高国はコマ、クマと読め、
高句麗と熊毛とがもとは同じだったことも立証している。
コレアン、カリエン、カレンは、
元はカルデアンだったのである。
これは今、そのカルデア人がクルド人と呼ばれているのより、
よほどよくわかると思う。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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