2013年4月17日水曜日
霧島はギリシャへの当て字
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
147~149頁
「6章 鹿児島に天皇家を生んだギリシャ文明」
《霧島はギリシャへの当て字》
「霧島はギリシャへの当て字」
この『旧唐書』には、まだ重要なことが数多く書いてある。
その一つは、
小日本国の東と北の国境の向こうは、「毛人」の国だというのだ。
倭国人と日本人のほかに「毛人」と呼ばれた人々が、
天平時代になっても別の国を作っていたのである。
それだけではない。
11世紀に編集された『新唐書』には、
最後に
「その東海の島には邪古、波邪、多尼の三小王あり」と書いてある。
これは大隅語で読めば
邪古はヤク、
波邪はハヤ、
多尼はタネと読めて、
屋久島、隼人、種子島のことだとすぐわかる。
それが東海だというのは鹿児島県の西南の端、
今の枕崎市あたりからの、
古代人の大ざっばな感覚で東海と表現したので、
そこにある坊の津が遺唐船の発着港だったから、
よく地理を知らない遣唐使などが、
耳にした知識を話したものだったと考えると納得がいく。
そしてもちろん、その国は「小日本国」であって、
その東と言うことである。
毛人の国は鹿児島県の東から北をさえぎる山々の向うだと言うのだから、
霧島の山塊がそれに当たるし、球磨の山地も国境である。
ではいったい毛人とは、どんな人々だったのであろうか?
それは霧島という名が、すぐ連想させてくれる。
仮名書きするとキリシマで、ギリシャそっくりだからである。
語尾にヤのつく地名を見ると、名古屋、熊谷、日比谷、諌早など
がすぐ浮かぶが、谷の字で当て字した地名は案外多い。
この国を意味する語尾は、ラマヤナが多く、
ヤをマに変えるとギリシャはギリシマになる。
毛人という集団は、ほかにも鹿児島に大きな地名を残している。
能毛だ。
熊は球磨や熊襲、熊本といった名詞群で、
南九州一帯にいた人々の名だったことは常識である。
だから毛もその人々と一つになっていた地域がある。
それが熊毛という地名を今まで残したのだと考えるほかない。
その熊毛に、毛のついた名をもつ島がある。
種子島の小島「馬毛(まげ)の島」である。
これを馬毛島=マケドと読むと、
アレクサンドロス大王の祖国・マケドニヤのマケドまでが現われる。
ニヤも、南九州語の助詞が「ン」だからそれを付け足して、
国称語尾のイヤを付けると、完全にマケドニヤになる。
この略称は南九州語では「マケドン」これは聞く者には
「負けドン=負けた奴」と聞こえる。
そしてこれと対称的な名も鹿児島には揃っている。
それは「勝ち王(キ)」すなわち加治木(カチキ)である。
南九州語では、この地名は「カチキ」と読むのである。
こう見てくると小国日本が大国倭国に勝って、
日本国が生まれたというのが正しいことがわかる。
ソナカの政権・倭国が斉明天皇まで続き、
天智天皇の日本がそのあとに出来たのが640年。
『唐書』が書く日本誕生とぴったり合う。
よく知られている神話のイザナギのミコトが、
死んだイザナミのミコトを尋ねて、
死者の国に行くのも、
ギリシャのオルペウスが死んだ妻を尋ねて
死者の国に行くのと同じ話である。
こんな引用は『古事記』『日本書紀』の中に大量に見つかっている。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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