2013年4月27日土曜日

スサノオは歴代の漢魏書に登場する



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    163~164頁

 「7章 超国際人だった古代屋久島人

 《スサノオは歴代の漢魏書に登場する
 「スサノオは歴代の漢魏書に登場する


 これは我が国の古代史上、非常に重大な問題なので、

 もっと詳しくお話しよう。

 『魏書倭人章』の書く、卑弥呼らのいた三国時代より

 前の後漢時代の倭人のことも書いてある『後漢書』には、

 後漢・安帝の永初元年(107)に首都洛陽を訪れた

 倭国王[帥升」が貢ぎ物をしたと、その品々が書いてある。

 この「帥升」は、

 当時の漢魏音という発音では、

 「スイサヌウ」という発音になる。

 これは紛れもなく

 「スサノオ」と本人が名乗ったのを

 中国人が聴いて書き留めた記録であることは間違いないから、

 当時、スサノオという人物が確かに、我が国に実在したのである。

 ところが、それから136年後、卑弥呼の時代にも

 『魏書倭人章』に、「掖邪拘(ヤザカウ)」という高官がいて、

 魏から率善中郎将という高い位をもらっている。

 この掖邪拘はヤザカオウが

 大隈語でヤザカウと発音するのに対する当て字であるから、

 八坂王であって、

 崇神天皇の皇子・八坂入彦の命であることは間違いない。

 八坂神社の祭神で京都の山鉾巡行の主神だが、

 それはスサノオノミコトだと誰でも知っている。

 八坂神社が素戔鳴(スサノオ)の尊の神社だというのは

 日本人の常識なのだ。

 だからこちらの方は

 『魏書倭人章』がヤザカウと聞こえた発音を写しただけで、

 彼がスサの王の称号をもっていたことまでは知らなかったが、

 それは代々の皇族が受け継いで来た

 称号の一つになっていたことがわかる。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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