2013年4月22日月曜日
北方「騎馬民族説」は正反対の逆説
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
158頁
「7章 超国際人だった古代屋久島人」
《北方「騎馬民族説」は正反対の逆説》
「北方「騎馬民族説」は正反対の逆説」
私(加治木義博)は十二歳のとき、
古墳が直線上にメートル間隔で並んでいるのを発見し、
それと同じ11の倍数のメートル単位で、
稲敷~殷墟も配置されていることを見つけた。
これが私(加治木義博)を歴史の研究に向かわせたのである。
このラインを恩師の京大総長濱田青陵先生は霊域線と名付けられた。
レイラインという欧米の霊域線は、
この霊ラインがヒントになった名なのではないだろうか?
まだまだ物証は沢山あるが、
以上で充分わかるように古代中国最初の帝国も、
スメルを出てインドに来た人たちが、
我が国へ来て次第に移動して、
さらに海を越えて中国に帝国を築いた。
それなのに、これほどはっきり同一人種だとわかるものを、
その地域独特の土着人たちだと決めてしまい、
「民族」という新語を作って区別し、
その特徴を並べたてて、
優秀だとか劣等だとか言い始めたのは、
ドイツ人が最優秀民族だと称して、
彼等が発明した「民族学」と、
それを無批判に信用利用した自説ででっちあげた
「北方騎馬民族」という「民族」が、
日本列島を侵略してつくった国が日本だと
主張する妄想説まで発表した人もいる。
いまだに多民族国家という表現を眼や耳にするが、
それは近世になって多くの地域から自由に移動して来た人々が、
混住しているという意味なのだから、
「混住国家」か「自由移民国家」と呼ばなければウソになる。
だがよく考えてみると、
そうでない国が、いったいどこにあるだろう。
ヒトラーの亡霊に忠節を誓う、
こうした説は、毎日、国民を悪へ誘っているのである。
そんな呪われた思想と名は一刻も早く廃棄して清掃しないと、
日本人の恥であり、必ず災いの種になる。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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