2013年4月13日土曜日

「四神」は三世紀倭人連邦の位置と姿も記録



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    141~142頁

 「6章 鹿児島に天皇家を生んだギリシャ文明

 《「四神」は三世紀倭人連邦の位置と姿も記録
 「「四神」は三世紀倭人連邦の位置と姿も記録


 西のシラキウスは新羅御主(シラギウス)とも書ける。

 御主(ウス)とは沖縄の古い敬称で、

 王様とか殿様とか閣下とかいう意味の敬語に使われていた。

 (シラキ ヒラキ 開聞 ヒラキキ)

 北に高麗、西に新羅、南に鹿児島、

 とすると東の青は青梅(おおめ)のオオで

 「倭」の南支発音のオオに合うから「倭(オオ)国」ということになる。

  (倭オ 百済ホスミ = オホスミ 大隈)

 これは、新羅とは朝鮮半島の国だと思われてきたが、

 それが薩摩半島の南の端、

 開聞岳の開聞(かいもん)とその麓にある

 枚聞(ひらきき)神社の枚聞(ひらきき)が、

 大隅発音ではどちらも「シラキキ」で、

 「新羅王」という意味になるから、

 次のポセイドンの百済も、この新羅も、

 元は南九州生れで、朝鮮半島へ移ったのは、

 後世のことだと、すでに確認している。

 だからシラキを開聞岳付近とすれば、

 倭国はその東、大隅半島にあることになり、

 卑弥呼と壹與時代までの首都

 隼人町=(旁国の巴利国)に現存する八幡宮に、

 ピッタリ完全に合う。

 三世紀の『魏書倭人章』には、

 卑弥呼と壹與の都が、

 隼人町の位置にあったという記事が

 数十カ所も書かれている。

 それがわからなかった在来の学者は、

 何の証拠もなしに、邪馬壹(やまいち)と倭を、

 どちらも「ヤマト」と勝手に読み、

 邪馬台国は大和にあったと教えて来たが、

 それは余りに酷い行為で、後世に恥を残してしまった。

 新羅、百済についてもまた、

 それと同じようなことが行なわれてきて、

 我が国の歴史を汚してしまった。

 だから国史の正しい知識と、それを発見する人が、

 いま何よりも貴重で必要なのである。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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