2013年4月19日金曜日
古代日本列島からの海外移住者の凄さ
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
153~154頁
「7章 超国際人だった古代屋久島人」
《古代日本列島からの海外移住者の凄さ》
「古代日本列島からの海外移住者の凄さ」
我が国から世界への文化の輸出者は従来いわれてきたような、
単にハン、フンといった人々だけではない。
筑紫人は福岡だけではなくシべリヤに巨大な領地を開拓して、
世界最北端の港湾都市にチクシ(筑紫)という名をつけているし、
一帯にスク(宿)のつく都市を無数に分布させている。
それより南の中国に五胡十六国時代を現出した人たちの中枢にも、
ウースン人という騎馬民族と呼ばれた人々がいた。
ウースンは南九州弁で大隅を
ウースンと発音するから大隅人だとわかる。
その人たちは、3千年以上前の殷の時代にはすでに、
中国じゅうに沖縄産の貝貨幣を売り歩いていたのである。
そこに土着して国に発展させた人々 がいたのは当然すぎる話なのだ。
その人々は「商人」と呼ばれ、国名も「商」と呼ばれた。
これは間違いなく、いま私たちが使っている商人と同じ意味であり、
それが国名になるほどの偉大な商業国だったのだ。
この商は正式の国名だが、その国民は別の通称で呼ばれていた。
それは彼等がどこから来た人々かを教えている
関東以外の土地で「あの人は、江戸っ子だ」と東京人をいう。
あれと同じ表現法なのだ。
その通称は「殷(イン)」である。
すぐおわかりのように彼等はインド人だったのである。
しかしインドから直接来たのではなく、
我が国へ来て、
茨城県から中国へ移ったことがはっきりわかっている。
彼等が沖縄産の宝貝を通貨として中国に運び、
その経済力で国家を富ませて、
中国最初の大帝国にしたことが、はっきりしている。
それは沖縄から九州に運んだ商品を扱った基地として使った土地に、
彼等のインという呼び名が地名化して残っているからである。
犬童(インドウ)、因藤、猪野、井野、伊野、伊能から、
印播(インバ)、因幡(イナバ)と大きい国名になり、
伊根、稲、猪名、と近畿の中央を進んで
伊奈という岐阜県の大地域に拡がり、
関東に飛んで霞ケ浦の大水郷地帯に、
稲敷郡という稲作の先進国を想わせる地名を残している。
これは商業だけでなく、
農地になる土地を獲得して豪族として発展していった
歴史を物語っている。
が、それだけではない。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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『言語復原史学会:Web』
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