2013年4月25日木曜日

大隅は古代日本の中央で皇居のある首都圏



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    162~163頁

 「7章 超国際人だった古代屋久島人

 《大隅は古代日本の中央で皇居のある首都圏
 「大隅は古代日本の中央で皇居のある首都圏


 でも、役人というのは、政府の役人のことで、

 たかが神社のお賓銭集めなどの名だとは思えない、

 コジつけだとお思いの方があるかもしれない。

 だが八幡様は今、言ったように

 応神天皇の「宮城」であり、「政府」だったのである。

 そこに働く職員が、役人の始まりだったのは、当然のことなのである。

 だから4世紀の応神天皇時代に、

 役人という代名詞が存在していたということの方が驚きである。

 大隅は、

 日本の「最涯ではなく」「中央で皇居のある首都」だった。

 それは頼朝の時代には、

 現代よりさらに強く意識し崇敬されていた地域だった。

 だからこそ頼朝は、愛する忠久にその土地を委ねたのである。

 これが理解できれば、八幡領の広大さは不思議ではなく、

 また武力で我が国の支配権を手にした頼朝が、

 天皇の落胤で自分の子である忠久を、

 当時の我が国南端の最涯の地に、

 なぜ送り込んだのか、その理由が明瞭にわかる。

 それでこそ嶋津氏とは何だったか?

 嶋津之庄とは何だったか?

 が、本当に理解できたのである。

 縄文時代にスサの王が移植した屋久杉について、

 念のためにつけ加えると、邪馬国は上屋久町で屋久島北部。

 狗奴国=久の国は南部の屋久町で、

 屋久杉は超古代のスサ(今はイランの都市)の王スサノオが、

 はるばる船で運んで来て植えたレバノン杉である。

 『日本書紀』には、

 八岐大蛇退治の後の「一書」に

 「浮き宝がないのはいけない」と言って、

 杉と楠とを植えた、と書いてある。

 その移植の時代は、

 古代シリヤにあったフェニキヤ=船木国(きや)が大船を使って、

 造船用のレバノン杉を世界に運んで売り歩くのを主体に、

 貿易で栄えていた時代である。

 だからスサノオノミコトという神名は、

 「スサの王」という名乗りで、

 決して個人名ではなく肩書きである。

 その証拠にはるか後世の『新漢書』にも

 「帥升・スイサヌウ」と名乗る倭の国王が、

 漢の都に来たと記録されている。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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