2013年2月22日金曜日
スメルとギリシャの家紋と神道
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
49~51頁
「2章 八千年の歴史をもつ薩摩、そして日本」
《スメルとギリシャの家紋と神道》
「スメルとギリシャの家紋と神道」
紋章はスメルの遺跡から、
菊の御紋そっくりの紋を始め、
我が国で使われている多くの紋章デザインや、
その原型が大量に見つかって、
我が国の異常なほどの紋章文化が、
なぜ、どこから来たものだったかを、
雄弁に証言している。
嶋津家の家紋の原型であるカディキウスは、
このスメルの伝統の上に、
ギリシャの文化が重なったものだと、すぐわかるのである。
ついでに言うと、
三っ葉葵は、スメルにも類似紋があるが、
葵は日陰の雑草であって、薬草程度のものであり、
行事も京都の加茂社の「葵祭り」ぐらいしか目につかない。
我が国独特文化だった衣服に絵を描く伝統もスメルから始まっていて、
こちらは無地の布しか使わない西欧文明と、くっきり鮮やかに対立している。
注意がいるのは、
我が国で柄物(がらもの)を着るのは
女性だけで男性は着なかったことで、これも重要な物証であって、
スメルの女性上位の伝統をそのまま伝えているのである。
篤姫の豪華フアッションは、
そっくりウバイドから伝えられた人類最古の衣服文化の伝統の賜物だったのだ。
だから我が国古来の神道は、歴史の浅いちっぽけなものではない。
世界最古のウバイド信仰を中心にして、
遷都してきた道筋にあった神像などを加え、
ギリシャ神道を着せたもので、しかも永遠に最初の素朴さを失わない、
質実剛健な本来の神社の姿が、
本当の神道とは何だったかを語り続けているのである。
それは先にお話したように沖縄のウチヌも大神を意味し、
オリンピアが誰ったものがウヂンビヤと発音され、
ウジンミヤとなって「大神宮」と書かれた、
といった証拠が完全に揃っている。
ウヂンビヤ
大神宮(ウジンミヤ)
宇治の宮(ウジノミヤ)
宇都の宮
ウッタラ
天孫はアマゾンであって、神功皇后を指し、
ニニギノ尊はニンギルス神の名を受け継いで、
ウバイド出身を強調していた。
これは深い信仰心がなければ、数千年の命をもち続けることはできない。
篤姫は、その祖・頼朝が始めた武将政権の公方様に嫁いで、
その最後を看取った幕末に現われたイザナミノミコトでもあった。
『記・紀』が書くイザナミは、イザナキに政権を任すが、
篤姫は八千年の伝統を極限状況の中で守った。
血は争えなかったのである。
この大きな役割を見落としては、
せっかく彼女を論じてみても何にもならない。
『参考』
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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菊の紋章は古代の王の紋章。天皇家の紋章というわけではない。
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