2013年2月26日火曜日

超大名「嶋津家」は領地の名からきた「名乗り」



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    58~59頁

 「3章 嶋津家の家系と施政哲学

 《超大名「嶋津家」は領地の名からきた「名乗り」
 「超大名「嶋津家」は領地の名からきた「名乗り」


 その「藤原氏和泉系図」には、次のように書いてある。

 「建久七年、忠久公六月一日鎌倉を立ちて

  同八月一日三箇国下向 御年十八歳」

 これが前書きで、代々の当主のしるしである赤丸があって、

 そこに「忠久」とあり、その向かって右肩に、

 異なった筆跡で「島津」と書き加えてある。

 それから行を変えて、

 「従五位下 左右大夫 判官衛門 宗兵尉佐 豊後守 分国 七箇国 

  越前 若狭 伊勢 信濃 薩摩 大隅 日向 

  治承三 巳亥 誕生 御母 丹後局 比企藤四郎義数之姉、

  本領六十七箇所 承久 改 惟宗 號 藤原

  嘉禄三年六月十八日 乙丑辰 尅 卒 年 四十九 法名 號得佛」

 とあり、弟の忠季に続いている。

 これがのちの嶋津家の、本来の古い系図である。

 これで、もう一つわかることは、

 彼は藤原を姓にする前に「惟宗(いそ)」という姓を名乗っていたが、

 それを藤原に改めたということである。

 嶋津の地名の出てくる古い文書を調べてみると、

 長久二年十一月(一○四一年)

 「大隅大介」という官名をもった「惟宗某」が

 「台明寺山所在の雑木伐採を禁ず」という布告を出している。

 忠久は、一二二三年ごろまで、その惟宗の後継者として名乗り、

 その後、藤原姓を名乗ったのだとわかる。

 彼は日向の嶋津に落ち着いたのではなく、

 前領主の名乗る惟宗にいたことになる。

 これはなんとも奇妙にみえたから、

 古来、嶋津家が源頼朝の子孫だというのはウソで、

 本当は田舎代官の惟宗の子孫なのだと思っている人が多かった。

 それでいくと嶋津氏は、転々と苗字を変えてきた、

 うさん臭い家系だと言うことになる。

 だが、いまでは、姓だとして誰も疑う人のない「嶋津」も、

 実はいま誰もが思いこんでいる「姓」でも「苗字」でもなくて、

 庶民が手軽に使う代名詞だったのである。

 日常会話で天皇さん、総理、神主さん、知事と言い、

 知事や市長同士の会話では、

 親しみを込めて「大阪さん」「兵庫さん」「長野さん」と言い、

 幕末の江戸城中で大名たちが互いに

 「土佐殿」「薩摩殿」「水戸様」と呼び合っていたのと

 少しも変わりはない。

 忠久の出発は建久七年だから、

 頼朝が三年に征夷大将軍になって四年後である。

 十八歳の忠久は鎌倉の父・頼朝のもとから

 西国七か国を治める代官に任命されて鎌倉を出発し、

 最果ての領地、『惟宗]や『嶋津之庄』のある

 薩摩・大隅・日向へ着いた。

 だが、我が家(加治木義博)に伝わる史料によると、

 惟宗姓を名乗ったのは、何も前領主の姓を

 利用しようという浅ましい策略などではなかった。

 それは歴代藩主が、質実剛健をむねとして、

 大邸宅に住まなかったことでもわかる。



 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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 『言語復原史学会:画像』 
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