2013年2月8日金曜日

近代日本を生んだ聖母(マリア)篤姫



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    21~23頁

 「プロローグ―篤姫を生んだ古代超巨大文明

 《近代日本を生んだ聖母(マリア)篤姫
 「近代日本を生んだ聖母(マリア)篤姫


 NHKの大河ドラマ『天璋院篤姫]は、

 私(加治木義博)には身近で起きた歴史なので引き込まれるのもひとしおだが、

 それだけに細かい部分が気にかかる。

 私(加治木義博)の本籍は鹿児島市原良(はらら)町1829番地、

 小松屋敷とよばれていた所で、

 ドラマでは篤姫を恋する肝付尚五郎(きもつきなおごろう)

 (嶋津斉彬の側近〈小姓〉で尚五郎たちの師でもあった

  小松清猷(きよもと)の死後、

  その妹ちかと結婚して小松家を継いで、

  帯刀(たてわき) と名乗り、

  明治維新を成功に導いた最後の嶋津藩家老で、

  我が国初代の外務大臣とも言われた人)が

 登城時に住んでいた晩年の屋敷跡である。

 もちろん夫人もそのときはここに移り、

 有名な「お香の先生」として、帯刀を癒し、来客を接待していた。

 太平洋戦争末期に疎開した丸山応挙などの描いた

 襖や家具はもちろん、

 空襲で焼け落ちるまでは屋敷全体も良い薫りがしていた。

 ドラマでは、その尚五郎の親友の一人が西郷吉之助で、

 篤姫がまだ於一(おかつ)とよばれていた当時から

 仲良くしていたことになっているが、

 宮尾登美子さんの原作では、

 篤姫と西郷の初対面は、

 夫の将軍家定の死後、大政奉還されて、

 江戸城が明け渡された直後だったと明記してある。

 城を出た天璋院がさぞ不自由であろうという

 嶋津忠義からの

 「援助を拒否した篤姫のもとへ、

  今度は西郷吉兵衛みずから拝謁を願い出たのは、

  それから十日ほどのちのことであった。」

 「篤姫は、西郷とはこれが初対面であったが……」と、

 きっぱりと書いてある。

 その名も吉兵衛で、吉之助ではない。

 そうしてさらに

 「西郷はいま、新政府に重用され、

  飛ぶ鳥落とす勢いといわれるが、

  しかしもとをただせば極めて軽輩、

  薩藩の庭方役であったことを、

  篤姫は決して忘れてはいなかった。」

 とも、書いている。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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