2013年2月24日日曜日

暴風雨の中、庭石の上で生まれた皇子



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    54~55頁

 「3章 嶋津家の家系と施政哲学

 《暴風雨の中、庭石の上で生まれた皇子
 「暴風雨の中、庭石の上で生まれた皇子


 私(加治木義博)の家に代々伝わってきた系図は、

 嶋津家初代の忠久から始まっているが、

 一般に想像されるであろう嶋津家系図とは書いてない。

 「藤原氏和泉系図」と書いてある。

 不思議に思って父にたずねると、

 「忠久公の母・丹後の局は、全国に領地六十七箇所をもつ、

  当時日本一の大富豪であって、

  後鳥羽天皇の寵愛を受けていたが、

  源頼朝の勢力が非常に強くなったので、

  後鳥羽天皇はそれを懐柔しようと、

  この巨富をもつ美女を頼朝に御下賜になり、

  丹後の局は鎌倉へくだって頼朝の妻になった。

  ところが妊娠していることが頼朝の妻・北条政子の耳に入り、

  怒った政子が刺客を放ったという急報に、

  頼朝は直ちに局を船に乗せ、

  京へむかって船出させた。

  ところが泉州沖に差しかかると海が荒れたので、

  とりあえず局の親戚が宮司をしている

  摂津住吉大社に泊まろうと上陸して訪れたが、

  世情不安の当時、いくら呼んでも叩いても、

  呼べば呼ぶほど戸を開けず、耳もかさない。

  そのうえ嵐による船酔いと疲労から体調を崩した局は、

  にわかに産気づいてしまった。

  気のきいた供の考えで、

  庭にあった大きくて平らな石を寝床にして、

  供の着物を敷き物にし、女御たちが捧げて屋根にした。

  そうして、なんとか無事出産したのが忠久だったのである。

  住吉大社では、この石を『嶋津誕生石』と呼び、

  そのいわれを説明した高札を立ててきた。

  丹後の局はこんな事情で天皇のもとへ戻るわけにもいかず、

  宮司の本家である京の藤原(近衛)家に入ったから、

  忠久は承久三年六月一日、藤原忠久を名乗った。

  嶋津家の系図は『藤原氏』とあるのが古く、

  また正しい系図で、記載の異なる、それ以外の物は、

  この史実を知らずに、後世に作ったものである」

 と教わった。



 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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