2013年2月15日金曜日
嶋津藩への根深い恐れの底にあった徳川家の劣等感
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
34~35頁
「プロローグ―篤姫を生んだ古代超巨大文明」
《嶋津藩への根深い恐れの底にあった徳川家の劣等感》
「嶋津藩への根深い恐れの底にあった徳川家の劣等感」
「しかしなぜ何でしょうね?
日本の果ての涯、いちばん辺鄙な田舎から、
将軍の奥方が選ばれたなんて……?」
ある人からの質問に私は即答できなかった。
鹿児島出身の私は考えもしなかったが、
これが友人知人共通の疑問で、
それも皆「驚き」に満ちていた疑問だったのである。
よく考えると、この問いが、
ドラマの生命だといっていいことに気づいた。
徳川家からみれば、関ケ原の戦い以来、常に最大の敵、
いつの日か徳川政権を倒す可能性のある最強の藩が嶋津藩だったからだ。
石高では加賀の前田が百万石、嶋津は七十数万石で第二位だが、
その実質支配権は当時まだ外国扱いだった
琉球(沖縄県)にまで及んでいる危険に満ちた大藩である。
取り潰しや、国替えなどの常套手段も使えない
「超大国」で、形の上でこそ、大将軍と臣下ではあったが、
何とかして懐柔しようという思いが、
八代将軍吉宗の養女ではあったが、竹姫を嶋津家に嫁がせたり、
嶋津から幾人もの御臺所を受け入れたりさせたのであって、
その根深い恐れの裏にはさらに強い劣等感があった。
それは嶋津家の血統である。
人知が開けた今、世界の知性ある人たちは、
血統や家柄や富を看板にする幼稚な連中を軽蔑する。
そんなものは人の優劣も上下も決めはしない。
それどころか有害な人類の敵として軽蔑し、嫌悪する。
私も全く同じ考えで生きてきたから、
そんなことはたとえ真似ででもしたくない。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
《参考》
世界史年表・地図
日本史年表・地図
古代史年表・地図
オリエント史年表・地図
メソポタミア史年表・地図
大シリア史年表・地図
小アジア史年表・地図
ペルシア史年表・地図
イラン史年表・地図
インド史年表・地図
西アジア史年表・地図
"南アジア史年表・地図
中央アジア史年表・地図
北アジア史年表・地図
東南アジア史年表・地図
東アジア史年表・地図
中国史年表・地図
朝鮮史年表・地図
ヨーロッパ史年表・地図
ギリシア史年表・地図
エーゲ海史年表・地図
エジプト史年表・地図
北アフリカ史年表・地図
考古学ニュース
装飾古墳
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿