2013年2月20日水曜日
なぜウバイドが最涯(さいはて)の日本列島に?
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
43~44頁
「2章 八千年の歴史をもつ薩摩、そして日本」
《なぜウバイドが最涯(さいはて)の日本列島に?》
「なぜウバイドが最涯(さいはて)の日本列島に?」
イラクのウバイドは、周辺の調査結果から、
農業を主体に営み、次第に灌水農業を発明、発展させて繁栄した。
管理監督は女性の仕事で、水の女神イナンナを崇拝、
女性が祭祀一切を担当して、
女性支配国家を形成していた祭政一致の国だった。
これと同族といっていい我が国の古代貝産業の中心だった力リエン人と、
同族であることの明らかな、タイ国、ミヤンマー国に現住するカレン人が、
いずれも老婆を最高指導者にいただく母系社会を堅持している。
古代天文学の発明者であるカルデア人が、
カルデアン=カーリエン=カレンと移動先の言葉で訛り、
それに漢字で当て字したものが
高麗人(カウレーアン)、宝貝人(カウリーアン)で、
古代沖縄の支配者であり、
アラブには居残った人々が今もいてクルド人=カルデアンと
呼ばれていることも周知のことである。
ご覧のとおり、発音の時代変化=訛りを計算すれば、
その先祖だと明確にわかる。
これは我が国の天照大神伝承と同じであって、
イザナキ、イザナミ伝承の正しい内容も読み取れる。
それは男神が「武力」支配を主張し、
女神が「平和」を主張して争った、
世界観と、戦争か平和か?
という太古以来、
人類あるところ必ず繰り返された現実的な論争の、
収縮できる限り収縮された「哲学」論争寓話だからである。
だからウバイドは女帝国家であり平和国家だった。
当然、時とともに人口が増大し、移民して行っては分国を作る。
盗賊と戦い、水や、放牧飼料の多い土地を奪いあう。
平和主義では生存できない国も当然生まれる。
スメルも例外ではなく、様々な都市国家が生まれて行く。
やがてその中にはバビロンのような極端な独裁帝国も生まれた。
だが我が国は、先に挙げた聖徳太子も、
推古天皇という女帝の摂政だったし、
天武天皇も、倭国(うばいど)を倒して
男帝国日本にした天智天皇政権を倒して、
国名は元に戻さず日本のままにしたものの、
男帝は彼一代の後は、
持統・元明・元正と歴代、女帝が続いたし、
この間の唯一の男帝・文武天皇も、
同時に存在した新羅の文武天皇の名だけを
挟んだ可能性が非常に高いから、
大化改新による改革は天智天皇一代で終わり、
国名は日本でも、実態はウバイド=倭人国に戻ったのである。
このことは、ウバイドがなぜイラクからみて
最涯の日本列島にまで移動して来たのかを教えてくれる。
同じく水の女神の保護を受ける海の生活者たち、
貝をとって生きる人々、カルデア人=カリエンたちが、
次々に漁場を換えながらインド洋から東南アジアを経て、
世界最大の宝貝産地・沖縄を見つけ、
そこを基地にして日本列島に拡がり、
ついに稲敷から中国の東部にまで拡がり、
激しく往来するうちに段(商)帝国を作り上げたのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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