2013年2月18日月曜日

八千年前のスメル遺跡「ウバイド」



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    39~40頁

 「2章 八千年の歴史をもつ薩摩、そして日本

 《八千年前のスメル遺跡「ウバイド」
 「八千年前のスメル遺跡「ウバイド」


 なぜなら「倭人」が表現する名の「ウバイド」とは、

 この地球上で一番古い地名であって、

 今では世界の農耕文明の発祥の地と確認され、

 政治と宗教とが一体になった祭政一致の、

 我が国と同じ体制をもっていた

 超原始国家の名前であることまで明瞭になっている。

 その遺跡は、今のイラクとイランにまたがる

 古代スメル・シュメル(英語訛り=シュメール)の、

 チグリス、ユーフラテス両河の旧河口に近い、

 今もウバイドの名の残る地域にある。

 その辺りが、人類文明が進化し始めた地域であることは、

 1920年代の英国の本格的発掘調査で非常に明瞭になっており、

 隣接するウルからは少し時代は下がるが、

 殉葬者を大量に伴った女王の大墓地も発見されていて、

 ウバイド遺跡は少なくとも6500年前にはさかのぼると計算されていたが、

 なにぶん、二大河の水湿で沼沢地帯化が激しいためと、

 治安の悪さが重なっていたため、

 調査が困難で以後は放置されたままになっていた。

 ところが湾岸戦争の直前になって調査を再開したところ、

 6500前の遺跡のさらに下から、さらに古い遺跡が見つかった。

 その深さから、8000年は下らないと計算されたが、

 折悪しく第二次湾岸戦争で中断されてしまった。

 しかし既に発見した村落遺跡は、過去に発見された遺跡同様、

 村落の中央に必ず神社と言っていいような「神殿跡」があり、

 独特の文化体系を示している。

 私たちにはこれが重要なのである。

 なせなら、村落の中央に必ず神社を祭る習俗をもつのは、

 私たち日本人の祖先の大半がもっていた、

 他に類例のない顕著な特徴だからである。

 それだけならともかく、

 「倭人」の文字が「ウバイド」という

 その地名と完全に同じ発音を持っていることが確認されたほか、

 続々と関連を証明する証拠が揃いつつあるのだ。

 『スメル遺跡地図

 『メソポタミア世界


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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