2013年2月2日土曜日
「動かぬ史実」だけを発表
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
12~13頁
「プロローグ―篤姫を生んだ古代超巨大文明」
《「動かぬ史実」だけを発表》
「「動かぬ史実」だけを発表」
私(加治木義博)は十二歳の時、
古墳がメートル単位で、
直線上に配置されている事実を発見してから、
歴史家を志したが
(加治木義博著・KK ロングセラーズ刊
[真説・日本誕生誰が巨大古墳を造ったのか]参照)、
それは考古学に入る分野だったのだが、
やがてそれに倦き足らずに有形の遺物だけでなく、
文献伝承によって文化文明全体の歴史を知ることに発展した。
その結果、
私(加治木義博)は故郷・鹿児島に卑弥呼の残した遺跡が充満しており、
それを継いだ壹與女王の遺跡「邪馬責国」が、
八幡市=ヤマンチ=ハマンチ(浜ノ市)として
今なお実在している事実に気づいた。
では「八幡」とは一体、何なのか?
それは古代に渡来した人々としては予想を絶した
ギリシャ人を呼ぶ、
広汎なアジアで近世まで使われていた人種名
ヤバーナへの当て字であり、
卑弥呼当時の謎に包まれた天皇家の実体を示す、
貴重な手掛かりであり、我が国の国力を教えてくれる、
古代大文明そのものだったのである。
以後、私はその徹底追及によって、
鹿児島こそ、
かの卑弥呼の「倭人=うばいど」女帝国であり、
天照大神の高天が原だったことはもちろん、
その文化が人類最古の大文明、
八千年を超すスメル文明の世界国家・
ウバイドの遷都によって、
ついに到達できた理想郷だったことを知った。
ではその大文明は、どんなふうにやって来たのか?
この疑問も、
景行天皇と仲哀天皇の二人の「名乗り」が、
支え合って教えてくれる。
それはインドのアソカ王が派遣した仏教宣布団の指導者たちのうち、
東方を担当した二長老の、間違うことのない固有名詞に、
どちらも完全に一致するからである。
これほど明確な動かぬ証拠が、
天皇家にはあったー私の古代史研究は、
このような質の高い、完壁な史実を集めたもので、
「ではなかろうか?」とか
「私は、そう思う」といった想像説ではない。
絶対に動かない「史実」だと確認できたものだけを発表してきたのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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