2013年4月28日日曜日

3世紀に八幡を八坂と読み替えていた漢字知識



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    167頁

 「7章 超国際人だった古代屋久島人

 《3世紀に八幡を八坂と読み替えていた漢字知識
 「3世紀に八幡を八坂と読み替えていた漢字知識


 掖邪拘(ヤザカウ)は卑弥呼が魏の皇帝から贈られた贈物の返礼に、

 伊声耆(イサンギ)=イサナギと一緒に、

 正始四年、

 魏に行って卑弥呼からの贈物を届け、

 率善中郎将という位を受け、

 卑弥呼の死後の大乱が収まった後、

 今度は壹與の大使として、

 帯方郡使・張政を送りがてら、

 また魏の都まで足をのばして皇帝に献上品を届けている。

 『魏書倭人章』はそこまでで終わっている。

 八坂はヤバンと読める。

 八幡もまたヤバンと読める。

 誰もが八幡をハチマンと読むが、

 この二つは同一の名乗りに対する当て字の違いで、

 当時の人はヤバーナを野蛮人扱いする中国人を意識して、

 八幡を八坂と当て字を変え、

 その発音も「ヤザカ」と訓読していたのである。

 古代日本人が八幡を読み替えたのは、

 これだけではないから、以上は考え過ぎではない。

 その証拠として八幡がどんなに多くの名詞に変化したかを、

 次に一覧表にしよう。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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