2013年4月3日水曜日

天皇家は景行天皇から始まったのか?



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    125頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《天皇家は景行天皇から始まったのか?
 「天皇家は景行天皇から始まったのか?


 しかし、

 ウッタラがインドから来てそれを継いだのがソナカだから、

 確かに天皇家ではあるが、

 それでは天皇家はウッタラ=景行天皇から始まったことになるではないか?……。

 『記・紀』には景行天皇は第十二代と書いてある。

 それ以前の十一代はウソだと言うのかということになる。

 しかし、

 『魏書倭人章』に載斯烏越=大足忍代(おおたるおしろ)と、

 景行天皇の実在を明記してあるところに、

 伊支馬=活目と、垂仁天皇の名と行動が書いてある。

 まだその上卑弥呼を助けて政務に当たっている男弟がいるが、

 これは『記・紀』の崇神天皇の記事と、

 詳細に一致しているから、崇神天皇に間違いない。

 その二天皇の記事には、任那の蘇那曷叱智(ソナカシチ)

 (これを沖縄語で読むと、シは日、チは木(キ)でコ=ヒコ=彦。足仲彦)。

 意富加羅国の都怒我阿羅斯等(ツノガアルシト)。

 新羅の天日槍(アメノヒホコ)が次々にやって来た話があるが、

 これは全部同一人で、結局、ソナカ(仲哀天皇)の渡来の記事である。

 その足仲彦は美麗な童女を貰うが逃げられてしまい、

 海を越えて追いかけて行く。

 すると童女は比売語曽の社の神になった、というから、

 卑弥呼尊(ヒメコそん)のオカミ=お上=女王になったのである。

 ただし、これは仲哀天皇と神功皇后の話である。

 これが教えてくれたのは、神功皇后はインドで

 息長(ソナカ)と名乗っていたソナカと結婚した後で、

 息長帯姫と名乗ったのであって、

 それ以前は別の名だったということだ。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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