2013年4月7日日曜日
景行天皇は入り婿、天皇家の歴史ははるかに古い
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
131~132頁
「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身」
《景行天皇は入り婿、天皇家の歴史ははるかに古い》
「景行天皇は入り婿、天皇家の歴史ははるかに古い」
すなわち、本当はこれらの名は、卑弥呼が主体で実在したが、
それと結婚した別の名の持主を、
例えば「ヒミコのお婿(むこ)様」と呼んだものに過ぎない。
すると、上位にあるのは、間違いなく卑弥呼のほうである。
卑弥呼が女王として君臨していた所へ、
ソナカがやって来て「婿入り」したのである。
これは我が国が「女王制」国家だったことを、はっきり立証している。
女王制を、絶対に認めない書き方になっている『日本書紀』 も、
やむなく彼女だけは神功皇后と「皇后」を強調しながらも、
実質は早死にした「天皇に代わる皇后=最高支配者」として、扱っている。
それは当然のことで『魏書倭人章』は彼女を女王と認めて大書しているが、
他の人物は単に「男弟」などと書くだけで無視するに等しい扱いしかしていない。
天皇家はソナカまたはウッタラから始まったのではない。
二人は入り婿だったのであり、
天皇家には、その前に、
「日本」国史を書くのが目的の『記・紀』の編集者たちには書けなかった、
しかし充実した「倭国」の永い歴史があったのである。
また天稚彦や天日槍、天日矛という夫妻の名乗りが、
ご覧のとおり地域の方言差によって異なって読まれたものを、
別人として扱い、その後継者の別人が、同じ名乗りを名乗っている。
そのために、今度は同一人と誤解して扱ってしまい、
よけいに混乱してしまったのであり、
べつに『記・紀』の編集者が、
意識して歴史を書き換えようとしたのでもなかったことも、
これでよくわかった。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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