2013年3月8日金曜日

最古の島津は『景行天皇紀』島津神



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    81頁

 「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務

 《最古の島津は『景行天皇紀』島津神
 「最古の島津は『景行天皇紀』島津神


 嶋津という地名は、

 たまたまそこにあっただけの名で、

 それがどんな歴史をもつ地名かは問題ではないが、

 嶋津の名は3世紀の『魏書倭人章』にある旁国の一つ

 「斯馬(しま)国」の人々が移動して生まれた地名であることは疑いない。

  沖縄から南九州の人は国を「マ」と呼んだが、

 それなら斯馬国は「シママ」だから、

 今、種子島の東南部にある「島間」のことである。

 だとすれば島間は島国ということで、

 本来の名は「島」である。

 そのシマという土地の出身者は島の人という代名詞でも呼ばれる。

 大隅人なら「島(しま)ン人(と)」と呼ぶ。

 すると四国の高知を流れる大河、

 四万十(しまんと)川も島ン人川で、

 助詞のノを助詞の津にすると島津川になる。

 そのせいか四国には島津姓が多いので、

 それと区別するために、

 薩摩嶋津家の一族は、

 山偏のついた「嶋」の字を使うのである。

 島津という名が記載された一番古い文献は『日本書紀』である。

 『景行天皇紀』の中の日本武尊(やまとたけるのみこと)が焼き討ちに遭ったり、

 弟橘姫(おとたちばなひめ)が入水する有名な記事の後に、

 蝦夷の境に至ると、

 蝦夷の王の「島津神」と国津神らが

 「竹の水門」に群がって待ち構えていたが、

 尊の軍勢を見て圧倒されて味方についたという。

 だが蝦夷をエゾと読むと、蝦夷地は北海道だから、

 この島津神は南九州の嶋津とは何の関係もない、

 ただの「島の王」に過ぎない。



 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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