2013年3月19日火曜日
卑弥呼の千人の侍女は歩き巫女
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
97頁
「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務」
《卑弥呼の千人の侍女は歩き巫女》
「卑弥呼の千人の侍女は歩き巫女」
卑弥呼女王の特徴のうち最大のものは
「千人の侍女」がいたことである。
彼女たちは、いったい何をしていたのであろうか?
すでに大奥の原型が実在したのだが、将軍と違い、女帝である。
我が国の政治は古くは女帝が多く、
後に男帝時代に入った。
徳川将軍家の大奥もその名残を踏襲したもので、
それが篤姫の生涯に、大きな働きをした。
彼女がその異常な雰囲気に圧倒されずに、
むしろ巧みに活用したのは、
大隅に都していた卑弥呼以来の伝統が、
今も鹿児島には残っており、
今和泉家でも母親のお幸の方が、
実質は支配者だったことがドラマの端々に見て取れたように、
卑弥呼・天照大神の伝統が生きていた。
それを見落としては、
篤姫は正しく理解できないと言っていい。
その働きが突然変異で生まれた天才、
あるいは怪物に見えてしまうからである。
これと同じことは小松帯刀や西郷隆盛などの評論にも言える。
それらはどう見ても昔の英雄豪傑物語と余り違わない。
不思議な才能や人格をもったスーパーマン的英雄として紹介され、
ではなぜ現代はそんな英雄が出ず、
有名人といえば映画スターか野球選手ばかりなのか?ということになる。
だがこの答は、誰が考えても環境が変化したためである。
いま大衆受けのする芸能人が、大量に出る事実が、
その手掛りであり、証拠でもある。
千人の侍女と書かれた女性たちは、
一人の卑弥呼の世話をするには余りにも多すぎる。
彼女たちはもっと大勢の人たち、
国民を教育するという大任を負っていたタレントだったのである。
その方法は辻説法と呼ばれる教育法で、
ギリシャ、ユダヤ、インドなどで普及しており、
当然我が国にも知られていた。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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