2013年3月18日月曜日
無理やり地名を変えさせた和銅政府
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
95~96頁
「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務」
《無理やり地名を変えさせた和銅政府》
「無理やり地名を変えさせた和銅政府」
しかし勝手にハマンチをヤマイチと読み変えては、
いくらでも都合よく変えられる、よけい混乱するだけだという人もいる。
だが変えたのは私(加治木義博)ではなく、昔の政府なのである。
それは『続日本紀』の、
和銅六年(713年)五月二日の部分に
「畿内、七道の諸国の郡や郷の名は、好い字を着けよ。(以下略)」
という政府の通達が記録されているからである。
ご覧の通り
「在来の名に用いている文字を、好い文字(別の文字)に変えよ」と、
いうのだから、
それ以前の地名は、別の当て字に変えられてしまったのである。
その時の政府は、なぜそんな命令を出したのだろうか?その理由は、
古い文字と新しく書き換えられた文字とを比較して見れば、すぐわかる。
問題のハマンチとヤマイチを取り上げてみると、
それは八幡都市国家という意味で「八幡市」だったが、
それが「濱の市」に変えられて、
発音も「ハチマンのイチ」から「ハマンチ」に変わってしまい、
浜市=魚市場か、
単なる海岸の町の名としか相手に印象を与えず、
もっとも重要な「首都だった真実の歴史」がわからなくなる。
これは明らかに「八幡=応神天皇の都」だったことを、
不明にしようという策略である。
ところがここは、さらに重要な歴史をもっていた。
それが邪馬壹(やまいち)国で、八幡市(やまいち)の名を
3世紀の中国・魏の役人が来て、
聴いた発音に当て字した国名なのだから絶対に間違うはずがないのに、
現代の多くの歴史家たちが全然気付かないでいた。
それは八幡が「濱」という[好字」に変えられたためで、
発令者の悪企みに負けたのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:画像』
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