2013年3月7日木曜日
『建久八年図田帳』にある多数の嶋津之庄
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
78~80頁
「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務」
《『建久八年図田帳』にある多数の嶋津之庄》
「『建久八年図田帳』にある多数の嶋津之庄」
在来の解釈では、
忠久の落ち着き先が今の宮崎県都城市にあった嶋津之庄だったので、
それが姓になったのだといわれてきたが、これもありえない。
なぜなら嶋津之庄は一カ所だけでなく、
次のように複数が、広範囲に分散して実在していたからである。
我が家の古文書の中にある『建久八年図田帳』写を見ると、
『建久八年図田帳]写 (必要部分だけで、他は省略)
薩摩
総田数 四千 十町七段
一圓国領 百十一町
寺社領 六百五十五町
嶋津一圓荘 六百三十五町
嶋津庄寄郡 一千六百八十九町一段
嶋津庄寄郡内没官領 六百 十 町二段
他没官領 二百 十 町四段
阿多宣澄奮領
大隅
総田数 三千 十七町五段
正宮領 一千二百九十六町三段
内 不輸 五百 町五段
応輸 七百九十五町八段
公田 百 町半段
經講田 不輸 百三十三町三段
太府宣社領 十六町
嶋津庄 一千四百 三十町八段五歩
内 新立庄 七百 十五町
寄郡 七百 十五町八段五歩
日向
総田数 八千 六十四町
寺領 二百三十八町
社領 二千 百 六町
権門領 千七百 八十町
八条院 前斉院御領
嶋津庄 三千八百三十七町
内一圓庄 千 二十町
寄郡 千八百 十七町
没官御領 六十八町
公領 二十五町
これでおわかりのとおり、
嶋津庄と呼ばれた土地は、薩・隅・日の三カ国にあり、
日向にだけあったのではない。
ただ日向のものが一番広大だったので、
そこを本拠にしたのだということがわかる。
この、領地名が「名乗り」になるシステムはその後も踏襲されて、
分家が生まれるとすべてその領地の地名で
加治木家、今和泉家、垂水家と呼ばれた。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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