2013年3月15日金曜日

「卑弥呼と壹與(いちよ)の二女王の都」発見



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    90頁

 「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務

 《「卑弥呼と壹與(いちよ)の二女王の都」発見
 「「卑弥呼と壹與(いちよ)の二女王の都」発見


 「鹿児之国(かるしま)」と当て字したものが

 鹿児島という地名の起源で、

 これが「オオヒルメ」が連なれて来た

 八幡様(やばなー)の都市国家で政府であり、

 その後を継いだのが応神天皇で、

 「名乗り」も引き継いだので、名が変わった。

 それが「応神天皇の名替え」と呼ばれるものに合う。

 とすると、応神天皇は「倭の五王」の初代、

 倭王・讃の父だから四世紀の人、

 オオヒルメは「海幸・山幸」の豊玉姫の妹・玉依(たまより)姫であり、

 さらに整理すると、

 垂仁天皇の皇后の狭穂(さほ)姫が生んで自殺したあと、

 オオヒルメ=天照大神の肩書きをもつ壹與(いちよ)が、

 種子島から隼人へ連れて来た八幡(やばーな)なのだから、

 三世紀の人であって全然、時代が合わない。

 これは前の八幡は同じ品陀でも品陀真若=ホンダ・マワカ王で、

 四世紀にその名を受け継いだのが

 「品陀和気天皇」すなわち「誉田別=応神天皇」だったのだ。

 八幡はその時入れ変わったのである。

 こうみると不合理なところがなくなって、

 生きた歴史が蘇る。

 『正八幡縁起』がオオヒルメと書いたのは、

 壹與(いちよ)女王の一般の呼び名で、

 彼女は姉の狭穂(さほ)姫=豊玉姫が生んだ

 誉都別(ほむつ)皇子を連れてくる。

 これが正確な原型なのである。

 『記・紀』の記事では、卑弥呼と壹與は、

 二人の女王が一人の皇后として混乱している神功皇后であり、

 邪馬壹国の女王であって、

 八幡宮こそ卑弥呼が都にしていた倭人連邦の中心であった。

 これが八幡領の歴史であり、卑弥呼が政権を譲った壹與女王の都で、

 それ以前は「卑弥呼の都」巴利(はり)都(大隅語でハイト)だから

 住民は「ハイト=隼人(はいと)」と呼ばれたのだということになる。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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