2013年3月29日金曜日

我が国の要所に残る、アソカ王朝の主要名詞



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    116~117頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《我が国の要所に残る、アソカ王朝の主要名詞
 「我が国の要所に残る、アソカ王朝の主要名詞


 今、この「大人・弥五郎」そっくりの行事が、

 インドのヒンヅウ(シンドウ)教徒たちによって花々しく、

 盛大な年中行事として行なわれているから、

 これまでの考え方では、

 それが我が国に伝えられたものだと思いがちである。

 しかし我が国の景行天皇は卑弥呼の時代、

 3世紀の人で、ヒンヅウ教は圧倒的に強力な仏教に対抗するため、

 9世紀に多教派が合同して、仏教の行事などを真似て、

 いま見るような行事を行なうようになったので、

 大隅のほうがずっと先である。

 式の終りに大神像を焼くが、それは「大神を討つ」ことだから、

 弥五郎を「討った」という解釈に合う。

 これは大隅で「ウッタラ」という人名を「討った」と間違えたものを、

 そのまま真似たことになり、

 大隅からインドへ伝わった可能性が極めて高い。

 それが盛大に行なわれるインドのビハールという州名は、

 我が国ではミハルに変わるから三春。

 この地名は福島県の南部にあり、

 近くには安達太良(アダタラ)山がある。

 本州では「ウッタラ」は[だいたらぼっち」になるから

 「達太良(ダタラ)」は

  そのダイタラから変化した名だとしか考えられないし、

 「安」は阿部の阿で、本来は「オ」で、

 ウッタラの「ウ」に一致している。

 このように、すべてがウッタラの影響を裏書きしている。

 それが、まさか、

 景行天皇だ、などとは誰も想像すら出来ずにいたが、

 それがインドに逆輸出されて、

 今も続く一大行事の主役になっていたのである。

 それは、アソカ王の所へ往復したウッタラやソナカや、

 その臣下たちが運んだものだったのだ。

 だから彼等は、もちろん我が国にも大量の遺物を残したし、

 そのまま我が国に住み着き今の日本人の先祖にもなった。

 それは今もなお、姓や地名になって残っている。

 彼らの祖国はマガダ国(ニア)だが、

 鹿児島にはそのままマガダと読める「曲田」姓があるし、

 その記念すべきアソカ王の名は、

 九州にある世界最大のカルデラをもつ火山、

 阿蘇の名として永遠に残した。

 阿蘇火山という文字は、そのまま「アソカさん」なのである。

 また彼等が開いた奈良の仏教の古都・飛鳥(あすか)もアソカの訛りであり、

 北九州の豪族・麻生氏もアソ=阿蘇でその子孫であることは疑いない。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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