2013年3月16日土曜日

「海幸・山幸物語り」の「市」



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    91~92頁

 「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務

 《「海幸・山幸物語り」の「市」
 「「海幸・山幸物語り」の「市」


 隼人族については「海幸・山幸」伝承が説明してくれる。

 獣を生産する管理者の皇子・山幸と、

 漁を支配する皇子・海幸がいて、

 ある時、山幸が仕事を取り替えようと頼んだが海幸は断わった。

 それを山幸はしつこく繰り返したので、

 海幸も三度目に折れて取り替えたが、

 海幸に無理やりハリを借りて海で釣りをした山幸は、

 魚にハリを取られてしまった。

 怒った海幸はハリを返せと怒る。

 途方に暮れた山幸は海の側で泣いていると、

 塩椎(しおつち)の神が来て、

 「目無し勝間」という小舟を造って綿津見の神の宮へ送ってくれる。

 山幸はそこで豊玉姫と出会い、結婚して三年たった。

 ある日、海幸がハリがなくて、さぞ困っているだろうと思うと、

 思わず溜め息をついたのを豊玉姫が見て、事情をたずねる。

 山幸が話すと綿津見の神は魚たちを呼び集めて、

 タイの喉に刺さったハリを見つけて取り、

 「これを返す時は、まじないをして返せ、

  私は水の神だから、海幸を困らせることができる、

  それを利用せよ」と教え、

 一尋(ひとひろ)ワニに山幸をのせて「上国」に送り帰す。

 その教えどおりにすると海幸は苦しみ、戦いになるが負けて、

 今後は山幸の臣下になると誓いを立てて、隼人族になった。

 ―という話になっている。

 その町の名は地元での呼び名はハマンチという。

 今は「浜(濱)の市(いち)」と書いて小さな地域名になっているが、

 昔は隼人と言わずハマンチと呼んでいたのである。

 だからそれは海辺を意味する潰の、市場のことではなかったのだ。

 そこが正八幡宮のある古代都市国家だったことを考えると、

 この「ハマンチ」というのは「八幡市」が本来の名だったのである。

 この八幡は山幸が海幸を臣下にして君臨していた都市だったのだから

 「ヤマンチ」と読まなければいけない。

 それも発音は大隅語なのだから

 正しく当て字すると助詞の「ン」はなくて

 「山市」が本当の市(し)の名である。

 そうすると、これは間違いなく

 「ヤマイチ」という都市国家だったのである。

 ヤマイチは『邪馬壹』で完壁に

 『魏書倭人章』に書かれた通りの、

 邪馬壹国(やまいちこく)の国名である。

 それは絶対に邪馬台国(やまたいこく)ではない。

 失って取り戻したハリも巴利国であることなど、

 この寓話にはまだまだ多くの史実が込められているが、

 主題がちがうから本書では省略させていただく。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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 『言語復原史学会:画像』 
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