2013年3月2日土曜日

忠久が「惟宗(いそ)」姓を名乗った真相



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    67~68頁

 「3章 嶋津家の家系と施政哲学

 《忠久が「惟宗(いそ)」姓を名乗った真相
 「忠久が「惟宗(いそ)」姓を名乗った真相


 今の鹿児島市の磯で忠久が暮らしたかどうかは不明だが、

 彼が惟宗(いそ)と呼ばれ、名乗ったのは、

 その前任者の名乗りを引きついだだけなのだ。

 なぜなら惟宗とはコレムネではなく、「イソ」への当て字で、

 「磯」は後世の当て字である。

 忠久が領有する前の領主・惟宗(いそ)氏は、

 惟宗という所に本拠を置いていて「イソ殿」と呼ばれており、

 自らも当然のこととしてイソと名乗ってもいたのである。

 東京都知事○○を略して都知事だけで済ますのと同じで、

 そのあとへ入った忠久もまた「惟宗(いそ)殿」と呼ばれ、

 そう名乗ってもいた。

 忠久は惟宗氏とは何の血縁関係もない。

 養子になったり家督を継いだりしたわけでもない。

 前任者の職務を継いだだけなのである。

 だがそれもわずかの間だけで、

 すぐ「嶋津之庄」管理職に任命されたから

 今度はその地名が代名詞になって「嶋津の殿様」と呼ばれ、

 それが他に類を見ない永い治世を続け、

 地位も管理職から領主に変わったことによって、

 固有の「姓」に変化してしまったのである。

 宮尾さんは『篤姫の生涯』 (十三ページ)に

 「その歴史をたどると、いまから約八百年前の鎌倉時代に、

  惟宗忠久(これむねただひさ)が

  薩摩・大隅・日向の守護職に任命され、

  島津姓を賜ったことに始まるといいます。」

 と書いておられる。

 これだと惟宗忠久という姓名をもった人物が、

 鎌倉幕府から守護職に任命されて島津という姓をもらった

 (そんな事実はない)のが嶋津氏のはじまりだとしか受けとれない。

 しかしこれでは、頼朝の子だという事実も、

 母が後鳥羽天皇の愛妾だった丹後の局だという事実も、

 北条政子の嫉妬による鎌倉脱出の事実も、

 摂津住吉大社に残る八百年続いた『嶋津誕生石』という伝承と文化財も、

 何もかもが全部ウソだらけだということになって、

 嶋津家というのは大詐欺師の一族だという結論になってしまう。

 その一族の一人である篤姫も、南九州の涯の惟宗忠久という、

 素性も知れない人間の子孫だということになるが、

 これでは、

 その一つ一つが事実だという裏付けをもっている

 史実に比べて余りにも違い過ぎるのであって、

 忠久が惟宗という氏族の血を受け継いだ子孫だという公言は、

 明らかに間違っている。


 「3章 嶋津家の家系と施政哲学

 《スメル(シュメール)文明
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 《パーリ語辞典
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