2013年3月23日土曜日
大蛇退治は、天照大神=卑弥呼の「以死」
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
105~106頁
「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身」
《大蛇退治は、天照大神=卑弥呼の「以死」》
「大蛇退治は、天照大神=卑弥呼の「以死」」
国挙げて否定した「大神退治」、実は卑弥呼退治だったのであ。
彼女は政権末期の大乱で勝てず、魏に援軍を求めたが、
中国は、まだ魏、呉、蜀三国の大動乱時代が続いていたので、
鹿児島まで援軍を送るような余裕はなかったから、
たった一人派遣されたのは、魏の帯方郡という、
まだ手に入れたばかりの辺境の外国の役所の、
そのまた下っ端役人
「塞曹掾史(さかそうえんし)=塞(さか)人=スキュタイ人や、
シャカ族インド人たちを専門に扱う係員」
の張政に過ぎなかった。
彼は佐賀(さか)まで来て、危険な南九州まで来ずにそこに駐留したまま、
奴国の国王である難升米・ナンシャンミ=淳名川耳(なぬしゃんみ)の命に
和平せよという命令書を手交しただけだった。
隼人でそれを受けとった卑弥呼は、前後を熟考して、
老いさらばえて惜しくもない命を絶った。
スサノオのミコトと争った天照大神の岩戸隠れだ。
それを『魏書倭人章』は
「卑弥呼 以って死す=張政の諭しの命令書を読んだ卑弥呼は、
死を選んだ」と明瞭に書いている。
八幡の大神はスサノオこと垂仁天皇に敗れ、
代わって十三歳の壹與(いちよ)が新たな女王、
天照大神として、この世に姿を現したのである。
ただしそれは『記・紀』に書かれた寓話の実体であって、
後世の税の取り立てに対する国民の反感と、
救済を求める切実な願いとが、
スサノオ信仰という形で、
根強く庶民の生活の中に生き続けたことを見落としてはならない。
その庶民の心には、神仏の手先が強奪していく穀物や商品が、
櫛稲田姫であり、腹を空かして飢えに苦しむ我が子をみると、
自分がスサノオになって催促に来る
八幡のオロチを斬り殺したくなるのを、
一家全滅を想い描いて、ムリヤリ我慢して、
何とか生き続けていたのである。
だから極悪の旧領主らに代わって着任した
嶋津忠久らはスサノオのように見えた。
善政が続かなければ人々は、それ以前の取立て屋を、
いつかジワジワと滅亡させたように、
嶋津家も滅ぼしていたのだが、それがなかった。
それは歴代の首脳が、その程度のことはよく理解し、
善処できる、知性を備えた血統だったからなのである。
これは卑弥呼と壷輿の交替にも同じことが言える。
つぎにお話しする大隅の
「大人(おおびと)・弥五郎どん祭り」も、
愚民の幼稚な迷信行事だと笑うのは浅薄なのである。
村人たちは、とぼけて愚かなふりをする。
だが、したたかに知恵を働かせていたのである。
それを見抜いた眼には、一つの行事が、
実はデモンストレーションであるとわかるはずである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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