2013年3月3日日曜日

欧州と同じものだった我が国古代の名乗り文化



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    69~70頁

 「3章 嶋津家の家系と施政哲学

 《欧州と同じものだった我が国古代の名乗り文化
 「欧州と同じものだった我が国古代の名乗り文化


 九州へ赴任して、惟宗氏がもっていた土地を領有支配し、

 惟宗殿と呼ばれることになった忠久は、

 続いて嶋津の庄の支配者になって

 嶋津殿と呼ばれるようになった。

 だが、さきに57ページでご覧にいれた系図には、

 藤原氏和泉系図と書いてあって、

 源とも惟宗とも嶋津とも書いてない。

 そればかりか、墨色と字形と書かれた位置によって、

 明らかに後世の書き込みだとわかる文字で、

 嶋津でなく「島津」と書き加えてある。

 これは、これらの一字一字が、

 この系図自体の歴史を立証している

 「貴重な文化財」で、

 嶋津姓を名乗る前の忠久の体験した歴史の実態が、

 精密に記録されている。

 だから他に多数ある嶋津氏系図と書いてある系図より、

 はるかに古いのである。

 これでわかることは、

 鎌倉時代の姓氏は、

 後世のそれとは異なって、

 領地名の名乗りであり、後の薩摩の守・長門の守といったもの、

 海外のローマ皇帝、ドイツ王などと同じものだったのである。

 これは我が国の文化が欧州と同じもので、

 特別に変わったものではなかったことを証明している。

 それはなぜか?

 その謎を解いてご覧にいれるのが本書の主題であり、

 これまで秘められていた我が国の本当の古代史が

 すでに明らかになっていることに、感動していただけると思う。

 我が国の地理は、世界の東端に孤立していて、

 どの大陸とも接触していない。

 そのため何か世界から孤立した特異な国のように考える人が多いが、

 事実は太古から広い文化交流があり、

 決して孤立していたわけではない。

 石器時代から欧州と共通の遺物が分布しているのである。

 それがご理解いただければ、

 嶋津姓の由来がわかるように記録されているこの系図は、

 在来見落とされていた日本文化の真実を語る

 偉大な文化財だったことが確認できる。

 系図のもつ「歴史的価値」は、

 在来のアンチーク鑑定の対象から離れて、

 我が国の国家の威厳に関わる偉大な宝物として

 見直さなければならないし、

 正しく内容を観察分析してこそ、

 初めて本当の真価が判定できることがご納得いただけたと思う。



 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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