2013年3月31日日曜日

竹水門=高穴穂宮=武内宿祢



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    120頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《竹水門=高穴穂宮=武内宿祢
 「竹水門=高穴穂宮=武内宿祢


 ここまで来ると、島津神の所でお約束した

 「蝦夷たちのいた場所」をお話しすることになる。

 その決定的なキーは「竹の水門」という地名である。

 なぜならその後、景行天皇が高穴穂宮に遷都しているからである。

 南九州語では高はタケとも発音するから、竹と同じ発音になる。

 そこでこの二つの地名を比較すると、

 高穴穂は、穴をケツと発音すると

 「タカ・ケツ、ホ」になり高千穂と近くなる。

 これは高をタへの当て字、

 穴は方言化してケチとよむと「タケチホ」で、

 高千穂の方言名に一致する。

 さらに竹水門と比べてみると、

 穂はスイとも読み、水のスイと一致する。

 中間のチだけ不足するが、

 これは助詞の「の」を津にすれば、

 沖縄~大隅語ではツはチだから「タケチ」になる。

 どちらもタケチスイで、

 高千穂が変化しただけ、本当は同じ地名だとわかる。

 高千穂の峰と、高千穂町の二つが宮崎の南北にあるが、

 もう一つ、高千穂宮跡が大隅の八幡宮のそばにある。

 この高千穂宮は、さらに大きな問題を解決する。

 それは次のように読めて幾つもの古来の謎を解き明かす。

 高  千   穂  宮

 タケ チ   スイ ク ネ

 武  内   宿    祢

 タケノウチノ ス  ク ネ

             根

 高 穴    穂  宮 根

 タ ケチ   ス  ク ネ

 最後の「根」は、古代天皇たちの名乗りに、

 「足」とともに多く使われている文字で、

 どちらもタラシと読むのが正しい。

 これで従来、

 タケノウチノスクネと読むと教えられてきた

 武内宿祢は、個人の名乗りではなくて、

 高千穂の宮の根(タラシ=天皇)という意味だったことがわかった。

 大人は大臣で、大人弥五郎で、

 熊襲梟帥(くまそたける)は

 「梟帥(たけし)」で、内は「討ち」で、

 宿祢(すくね)は「足尼」とも書かれるから

 「内足尼(うつたら)」と、ナゾがどんどん解けていく。


 《スメル(シュメール)文明
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2013年3月30日土曜日

「薩長連合」はインドで紀元前に決まっていた



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    118~119頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《「薩長連合」はインドで紀元前に決まっていた
 「「薩長連合」はインドで紀元前に決まっていた


 だが、本書の主題である「篤姫」に視点を戻せば、

 もっと重要な姓がある。

 マカダ国は「国」をギリシャ式に「ニャ」と発音すると

 「マカダ国(ニア)」であることからもわかるように、

 そのマケドニャのアレクサンドロス(歴山大王(アレキサンダー))が、

 チャンドラ・グプタを助けて建国したと言ってもいいほど、

 大きくした国で、以後、多くのギリシャ人が住み着き混血した。

 代々の王妃たちも、大半がギリシャ人で、

 アソカ王もソナカも濃厚にギリシャ人の血をもった、

 血液も文化も大半はギリシャという人たちである。

 彼等はその絢欄たる王朝を称えて孔雀(マウリヤ)王朝と自称した。

 だから我が国にも必ずその名が、なければならない。

 それを探してみると簡単に見つかった。

 今の漢字の発音は、古代のものとは違うので、

 古代の当て字を探すには、古音について少し前置きがいる。

 「毛」は今は「モウ」と発音するが、以前は「マウ」と発音していた。

 それは戦前まで続いていて、

 私たちは国語の時間に「マウ」と振り仮名するように教わった。

 だから「毛利」さんは、「マウリ」さんだった。

 毛利家と書くと、今では「モウリケ」だが、

 古くは「マウリヤ」への当て字だったのである。

 こうして一音一句ちがわない答が見つかったのは、

 他の多くの名前群とともにマウリヤの名もまた姓になっていたという、

 動かぬ証拠なのである。

 長州藩藩主・毛利家は、由緒ある王朝名を、

 名乗りにしていたのである。

 アソカ王家の直系でないとこんな名乗りは許されないから、

 大人・弥五郎を伝え続けている

 大隅、薩摩の人々と同じ哲学の持主だったのである。

 だから坂本竜馬の仲介がなくても、

 薩長連合は当然成立せずにはいなかった。

 明治維新は、紀元前から決まっていた

 「アソカ仏教哲学の結晶」だったのである。

 卑弥呼は平和のためにいさぎよく自決し、

 篤姫はその伝統の平和の教えで江戸城無血開城を実現した。

 和宮も景行・仲哀両天皇の血を引いて、

 アソカ王の悲願を継ぐ皇女だった。

 明治維新は、

 小説が描くような醜悪な野心の産物ではないのである。

 
 
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2013年3月29日金曜日

我が国の要所に残る、アソカ王朝の主要名詞



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    116~117頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《我が国の要所に残る、アソカ王朝の主要名詞
 「我が国の要所に残る、アソカ王朝の主要名詞


 今、この「大人・弥五郎」そっくりの行事が、

 インドのヒンヅウ(シンドウ)教徒たちによって花々しく、

 盛大な年中行事として行なわれているから、

 これまでの考え方では、

 それが我が国に伝えられたものだと思いがちである。

 しかし我が国の景行天皇は卑弥呼の時代、

 3世紀の人で、ヒンヅウ教は圧倒的に強力な仏教に対抗するため、

 9世紀に多教派が合同して、仏教の行事などを真似て、

 いま見るような行事を行なうようになったので、

 大隅のほうがずっと先である。

 式の終りに大神像を焼くが、それは「大神を討つ」ことだから、

 弥五郎を「討った」という解釈に合う。

 これは大隅で「ウッタラ」という人名を「討った」と間違えたものを、

 そのまま真似たことになり、

 大隅からインドへ伝わった可能性が極めて高い。

 それが盛大に行なわれるインドのビハールという州名は、

 我が国ではミハルに変わるから三春。

 この地名は福島県の南部にあり、

 近くには安達太良(アダタラ)山がある。

 本州では「ウッタラ」は[だいたらぼっち」になるから

 「達太良(ダタラ)」は

  そのダイタラから変化した名だとしか考えられないし、

 「安」は阿部の阿で、本来は「オ」で、

 ウッタラの「ウ」に一致している。

 このように、すべてがウッタラの影響を裏書きしている。

 それが、まさか、

 景行天皇だ、などとは誰も想像すら出来ずにいたが、

 それがインドに逆輸出されて、

 今も続く一大行事の主役になっていたのである。

 それは、アソカ王の所へ往復したウッタラやソナカや、

 その臣下たちが運んだものだったのだ。

 だから彼等は、もちろん我が国にも大量の遺物を残したし、

 そのまま我が国に住み着き今の日本人の先祖にもなった。

 それは今もなお、姓や地名になって残っている。

 彼らの祖国はマガダ国(ニア)だが、

 鹿児島にはそのままマガダと読める「曲田」姓があるし、

 その記念すべきアソカ王の名は、

 九州にある世界最大のカルデラをもつ火山、

 阿蘇の名として永遠に残した。

 阿蘇火山という文字は、そのまま「アソカさん」なのである。

 また彼等が開いた奈良の仏教の古都・飛鳥(あすか)もアソカの訛りであり、

 北九州の豪族・麻生氏もアソ=阿蘇でその子孫であることは疑いない。


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2013年3月28日木曜日

ダイダラはギリシャ文化人の命名



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    114頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《ダイダラはギリシャ文化人の命名
 「ダイダラはギリシャ文化人の命名


 このダイダラボッチは、

 これまで、野蛮な田舎者たちが、

 デタラメに考え出した伝説で、

 その名もやはり思いつきに過ぎないとされてきた。

 だからその名の由来など考えた人もなく、

 ポリネシアの「ランギ・パパ」伝説が伝わったものだろう、

 などと言っている。

 しかし、名が手掛かりになるのなら、もっと適格な候補者がある。

 それはギリシャ神話のダイダロスだ。

 彼は、古代ギリシャ最大の大発明家で、

 金属の斧、船の帆、車、運搬車などを、発明して、

 ギリシャを富ませ、大文明国にした大恩人である。

 アテナイに住んでいたから、

 その才能で女神アテナにたいへん愛された。

 アテナはそれを人間に教えた。

 それが発展してそれまで人類が知らなかった

 「機械技術文明」をつくり出した。

 だから、その恩恵に浴している現代の人類の大恩人なのである。

 私たちこそ、それを知らなかったが、

 我が国の古代人は、それをよく知っていたから、

 ウッタラの名を

 「大陀良(うつたら)」と書いた当て字をダイダラと読んだ。

 法師はボッチと読んだ。

 ダイダラボッチの名は、こうして生まれたのだとわかる。

 ダイダロスは金属工業の先覚者である。

 我が国の鍛治の神・八幡様とは、切っても切れない関係にある。

 これで剣や鎧を我が国で造った人たちには、

 ダイダロスの名は神として常識だった時代があり、

 それが直ちにウッタラへの当て字をダイダラと読ませてしまったことが、

 手にとるようにお見えになったと思う。


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2013年3月27日水曜日

ダイダラはギリシャ文化人の命名



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
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    114頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《ダイダラはギリシャ文化人の命名
 「ダイダラはギリシャ文化人の命名


 このダイダラボッチは、

 これまで、野蛮な田舎者たちが、

 デタラメに考え出した伝説で、

 その名もやはり思いつきに過ぎないとされてきた。

 だからその名の由来など考えた人もなく、

 ポリネシアの「ランギ・パパ」伝説が伝わったものだろう、

 などと言っている。

 しかし、名が手掛かりになるのなら、もっと適格な候補者がある。

 それはギリシャ神話のダイダロスだ。

 彼は、古代ギリシャ最大の大発明家で、

 金属の斧、船の帆、車、運搬車などを、発明して、

 ギリシャを富ませ、大文明国にした大恩人である。

 アテナイに住んでいたから、

 その才能で女神アテナにたいへん愛された。

 アテナはそれを人間に教えた。

 それが発展してそれまで人類が知らなかった

 「機械技術文明」をつくり出した。

 だから、その恩恵に浴している現代の人類の大恩人なのである。

 私たちこそ、それを知らなかったが、

 我が国の古代人は、それをよく知っていたから、

 ウッタラの名を

 「大陀良(うつたら)」と書いた当て字をダイダラと読んだ。

 法師はボッチと読んだ。

 ダイダラボッチの名は、こうして生まれたのだとわかる。

 ダイダロスは金属工業の先覚者である。

 我が国の鍛治の神・八幡様とは、切っても切れない関係にある。

 これで剣や鎧を我が国で造った人たちには、

 ダイダロスの名は神として常識だった時代があり、

 それが直ちにウッタラへの当て字をダイダラと読ませてしまったことが、

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2013年3月26日火曜日

ウッタラ法師がダイタラボッチで景行天皇



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
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    112~113頁

 「5章 一気に解けた、謎の天皇家の出身

 《ウッタラ法師がダイタラボッチで景行天皇
 「ウッタラ法師がダイタラボッチで景行天皇

 
 景行天皇は『日本書紀』には

 「大足彦・忍代(おしろ)別 天皇」と書いてあり、

 『古事記』には

 「大帯日子・於斯呂(おしろ)和気 天皇」と書いてある。

 この名乗りは『魏書倭人章』 に、

 卑弥呼が貌に派遣した人物の一人

 「載斯烏越(つあいおうじお)」の烏越が「オシロ」だし、

 載斯は戴斯(たいし)の写し間違いだとタイシで

 「太子オシロ」を意味するから、

 まさに即位前の景行天皇の呼び名そのもので、

 その実在と、これらの名乗りが史実だったことは疑いの余地がなく、

 ほかの登場者もみな同時代の文献に書かれている人たちなので、

 この天皇の実在は間違いない。

 『日本書紀』と『古事記』では文字が違うが大足彦も大帯日子も、

 ともに「オオタラシヒコ」と読まれてきたが、

 「オオタラシヒコ」は「オオタラ之日子=大多良の日子」だと考えると、

 鹿児島方言で「大多良」が本来の名乗りだったとわかる。

 我が国には、

 関西以東に「だいたらぼっち」という名の巨人がいたという伝承や、

 その足跡だという遺跡が数多く残っていて、

 その名も東京世田谷の代田橋をかけたダイダボッチから、

 神奈川へかけてのダイラボッチ、

 東日本全般に多いダイダラボウシは

 東北の大太郎法師や大太郎坊主の訛った

 ダイタラボッチが一番広く分布している。

 そして大半が巨大な足跡の話と、それだという凹みが存在する。

 これらはすべて「大多良」をダイタラ、ダイダラと

 読み損なったものに見える。

 大半が巨人であることは、大人弥五郎と同じである。

 そして大きな足跡が残っているのが

 「彼が実在した何よりの証拠だ」というものも多い。

 こうした伝承の分布は広く、その研究も多いが、

 この名が景行天皇の名乗りと同じで、

 それが天皇家と関係があると気付いたものは一つもなく、

 この巨人伝説群は幼稚な農民の怪物童話で、

 何処にでもある巨人伝説の一種だ、

 として片付けているだけである。

 だが我々の「言語復原史学」による検討の結果、

 そんな幼稚なものではなく、

 この名はこれまで謎に包まれていた、

 天皇家の出自のナゾを一気に解く、

 世界でも希な凄い証拠になった。

 法師は僧、足跡は仏足石、

 まさに宣布団の実在証明が大量に完備した、

 大変な超文化財だということがわかったのである。

 事は余りにも重大だと言うほかない。

 よく注意してお読みいただきたい。



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2013年3月25日月曜日

斉彬のインターネット「琉球」



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
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   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    217~218頁

 「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ

 《斉彬のインターネット「琉球」
 「斉彬のインターネット「琉球」


 これでおわかりのように、

 嶋津氏は禰寝氏一族を臣下に加えたことで海軍力を強化して、

 それが慶長一四年(1609)の琉球征伐を生み、

 実質上の領地にして国王も臣下にした。

 しかし徳川政権が鎖国政策を採ったために、

 海外への門戸が閉ざされるのを予測して、

 あくまで琉球は外国であるとして、

 代官を置いて中国への貢ぎ物を続けさせ、

 海外貿易を行ない、収益を挙げると同時に、

 国際情勢を知ることに活用した。

 嶋津重豪(しげひで)斉彬の海外常識が、

 他の諸大名に比べて、はるかに近代化していたのは、

 このお陰だったのである。

 徳川もそれは知っていたが、

 嶋津と戦ってまで鎖国を貰く力もないまま、黙視していた。

 嶋津だけは鎖国は問題ではなく、

 その船印は海外に雄飛していた。

 国旗のことなど頭になかった江戸幕府の首脳部とは、

 世界観から違っていた。

 アメリカのペリーが来て、うろたえ騒ぐ大名たちの中にいて、

 泰然と国策を教えた斉彬の教養は、

 無学な殿様たちと雲泥の差があったのである。

 その血に濃くヤバーナの文化を秘めた薩摩・大隅隼人たちは、

 世界の情報を彼に伝え続けていた。

 八幡の名は伊達ではなく、

 すでに近代化日本の姿が、

 斉彬の頭の中には出来上がっていたのである。

 それを生み出したのは、いま情報とアイデアが充満し、

 商取引が可能なインターネットと同じく、

 世界に門戸が開けていた琉球の、知性に満ちた用い方だった。

 現在の沖縄県は米軍の駐留地として、苦痛と利益が半ばしているが、

 斉彬の夢が叶い、明治維新が生まれ、

 そして沖縄県として我が国の国民権・人権を獲得できたのは、

 明、清、中華民国、現在の共産党中国と、革命、戦争、内戦に、

 人生と人権と家と財産とを考えれば、嶋津による支配の継続が、

 ずたずたに破壊された、沖縄の人々どんなに救ったか、よくわかる。


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