2013年5月8日水曜日

倭人はギリシャ長衣「トーガ」を着ていた



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    185~186頁

 「9章 ギリシャ文明の象徴「カディキウス」

 《倭人はギリシャ長衣「トーガ」を着ていた
 「倭人はギリシャ長衣「トーガ」を着ていた


 それを別の素材で立証しているのは

 『魏書倭人章』に記録されている倭人の服装である。

 衣服というものは、

 何よりもその人々の出身種族を明確に表現していることは、

 幕末の和服を見れば、一目瞭然だが、それは古代でも同じである。

 倭人の男子は、幅広の布を縫わずに横に結束して繋いで着ている、

 と説明してある。

 これは古代ギリシャ人やローマ人が着ていた

 「トーガ」と同じものだとわかる。

 それは現代でもインドの代表的な衣服である。

 私たちはギリシャ・ローマの彫刻や絵でそれを見、

 今ではインド婦人が愛用しているのを見て、よく知っている。

 このことだけでも、ギリシャ人がインド人と共にやって来た、

 ソナカの記録が、

 『記・紀』に幾重にも重なって記録されているのは当然で、

 絶対に疑いのない、厳然たる事実だと、確信できるのである。

 私(加治木義博)の本『真説・日本誕生』シリーズの

 『卑弥呼を攻めた神武天皇』(KK ロングセラーズ刊)の中に、

 「台湾に現存するギリシャ系倭人」として、

 いま台湾にお住まいのギリシャ系の婦人の写真を掲載したので、

 「百聞は一見にしかず」というから、

 少し不鮮明になるかとは思うが、ここに再録してご覧に入れる。

 容貌がギリシャ人に一番近いのはアミという人々で、

 双耳壺アトモを作る人たちだが、

 沖縄語ではアミはアメすなわち雨や天のことである。

 アメノ何々という名乗りを持っている人々は、

 アミ人だと名乗っているのである。

 その人たちと同じ「アミ」を名乗る地名が、

 中国最初の大帝国『商』と深い関係にある

 ヒタチの国・茨城県にある。

 阿見町である。

 ここからは、

 商の皇帝が宝器とした人面注口器

 全く同じモチーフを三十近くもっている縄文土器を出土していて、

 今、兵庫県西宮市にある辰馬史料館に保存されている。

 「写真」台湾に現存するギリシャ系倭人・アミ人


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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