2013年5月23日木曜日

天璋院とは天照の国ということ



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    214~215頁

 「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ

 《天璋院とは天照の国ということ
 「天璋院とは天照の国ということ


 篤姫は、夫の将軍・家定が死んだあと、

 落飾して天璋院を名乗った。

 これも無意味につけたものではない。

 薩摩は天孫降臨の国である。

 その国の姫が、我が国の最高の地位に昇り、

 その任務を終えて余生を神として送る。

 それに相応しい名に改めたのである。

 当時最高の学者たちが深慮討議した名で、

 いい加減な思いつきの名ではない。

 天照大神は間違いなく鹿児島の神だったのであり、

 おカミさんだった。

 篤姫も、共通点を沢山もっていた。

 だから「テンショゥ」は天照で、

 そのままの文字では恐れ多いので、

 同音の玉=璋の字を用いたのである。

 だから真意は「天照の院」ということだったのである。

 夫・ソナカ=仲哀天皇の死後、

 神功皇后として君臨した聖女・天照¬=卑弥呼は、

 篤姫となって、国難におびえる将軍の妻として、

 新しい日の国、日本を再生させるために、

 人心が怯え、君主が恐怖に死に急ぐ、

 未曾有の嵐吹き荒れる幕末にも現れたのである。

 もうすでにおわかりのように、

 篤姫の嶋津家の家紋はカディキウスである。

 関ケ原合戦の絵巻を見ると、

 嶋津勢の旗差物に描かれた紋章は、

 丸に十の字ではなく、長い十字形をしている。

 これはいつまでもなくカディキウスである。

 ではなぜそれを丸の中に十=プラスを書いた図柄に

 変えたのであろうか?

 それはカディキウスを変えたのではない。

 「丸に十」の文字はギリシャ文字の「ヒ」である。

 「ヒ」は「日」で、

 その形でわかるようにギリシャでも太陽=日を意味していた。

 日を(ヒ」と発音していたのだから、

 やはり日本語の先祖なのである。

 だから当然、日の丸の原型で、

 嶋津家ではそれを船印に用いていたが、

 赤と白の、くっきりしたコントラストで遠目にも、

 はっきり太陽だとわかる日の丸に変えたのである。

 この嶋津家の船印「日の丸」が、

 斉彬の提案によって、

 我が国の国旗になったことは、

 戦前は教科書にのっていて学校で教えていた。

 「図」嶋津家の家紋


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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