2013年5月25日土曜日

斉彬のインターネット「琉球」



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    217~218頁

 「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ

 《斉彬のインターネット「琉球」
 「斉彬のインターネット「琉球」


 これでおわかりのように、

 嶋津氏は禰寝氏一族を臣下に加えたことで海軍力を強化して、

 それが慶長一四年(1609)の琉球征伐を生み、

 実質上の領地にして国王も臣下にした。

 しかし徳川政権が鎖国政策を採ったために、

 海外への門戸が閉ざされるのを予測して、

 あくまで琉球は外国であるとして、

 代官を置いて中国への貢ぎ物を続けさせ、

 海外貿易を行ない、収益を挙げると同時に、

 国際情勢を知ることに活用した。

 嶋津重豪(しげひで)斉彬の海外常識が、

 他の諸大名に比べて、はるかに近代化していたのは、

 このお陰だったのである。

 徳川もそれは知っていたが、

 嶋津と戦ってまで鎖国を貰く力もないまま、黙視していた。

 嶋津だけは鎖国は問題ではなく、

 その船印は海外に雄飛していた。

 国旗のことなど頭になかった江戸幕府の首脳部とは、

 世界観から違っていた。

 アメリカのペリーが来て、うろたえ騒ぐ大名たちの中にいて、

 泰然と国策を教えた斉彬の教養は、

 無学な殿様たちと雲泥の差があったのである。

 その血に濃くヤバーナの文化を秘めた薩摩・大隅隼人たちは、

 世界の情報を彼に伝え続けていた。

 八幡の名は伊達ではなく、

 すでに近代化日本の姿が、

 斉彬の頭の中には出来上がっていたのである。

 それを生み出したのは、いま情報とアイデアが充満し、

 商取引が可能なインターネットと同じく、

 世界に門戸が開けていた琉球の、知性に満ちた用い方だった。

 現在の沖縄県は米軍の駐留地として、苦痛と利益が半ばしているが、

 斉彬の夢が叶い、明治維新が生まれ、

 そして沖縄県として我が国の国民権・人権を獲得できたのは、

 明、清、中華民国、現在の共産党中国と、革命、戦争、内戦に、

 人生と人権と家と財産とを考えれば、嶋津による支配の継続が、

 ずたずたに破壊された、沖縄の人々どんなに救ったか、よくわかる。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
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