2013年5月24日金曜日

制海権を握る水軍・肝衝(きもつき)氏と、小松家の歴史



 出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ
    215~216頁

 「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ

 《制海権を握る水軍・肝衝(きもつき)氏と、小松家の歴史
 「制海権を握る水軍・肝衝(きもつき)氏と、小松家の歴史


 南九州人は隼人(はいと)=海人(はいと)=海幸の名が示すように、

 またアカイヤ=水国(アカ)と呼ばれたように、

 海洋を生活圏とした人々だった。

 お馴染みの小松帯刀は肝付尚五郎というのが本名とされているが、

 当時は肝衝(きもつき)が本当の文字で、

 尚五郎も直五郎と書かれている。

 この肝衝家は『続日本紀』の

 文武天皇四年(700)の記事に

 初めて肝衝郡(現代の肝属郡)の豪族として、

 他の地域の薩摩比売(ひめ)らと共に記録されている古い家柄だが、

 その後次第に勢力を拡大して分家が生まれ、

 大隅の内の浦を領地にした内の浦氏と

 岸良(きしら)を領地にした岸良氏が、

 みな水軍を持っていて、嶋津氏が下向したときには、

 大隅の制海権を握っていた。

 そのころ今の(ねじめ)、大根占を持っていたのが禰寝(ねじめ)氏で、

 嶋津氏が勢力を拡大し始めた頃

 それに対抗して同盟したり、争ったりしながら

 豊臣秀吉の南九州侵入で嶋津と豊臣が和睦すると、

 嶋津家の家臣に編入されて、それぞれ薩摩に移されたのである。

 これが嶋津家が

 薩摩・大隅・日向を完全に領土とした大体の経緯であるが、

 そのころ禰寝氏は、平家から出ているので、

 一般には不人気の平家の中でも、

 不思議に一人だけ人望のある悲劇の人、

 平重盛の通称『小松の内府(ないふ)』 を

 姓に選んで「小松」に改めたという家伝がある。

 一般に言われる「小松内大臣から」というのは、

 家伝から厳密にいうと問違っている。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿