2013年5月16日木曜日
『加治木古老物語』猿田彦の船の舵に由来?
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
199~201頁
「9章 ギリシャ文明の象徴「カディキウス」」
《『加治木古老物語』猿田彦の船の舵に由来?》
「『加治木古老物語』猿田彦の船の舵に由来?」
逆鉾は天孫降臨の証拠として高千穂の頂上に立てられた。
それはへルメスの話から考えても、
我が国の指導者のしるしであった。
それが十字の形をしているのは、
思いつきや、デザインの問題ではなく、
どうしてもカディキウスでなければならなかったのである。
しかもそのデザインは猿田彦を重要な要素として表現している。
だからこれは神功皇后側の作品ではない。
皇孫を出迎えた猿田彦は国を皇孫に譲ったのであって、
逆鉾は彼が指導者だと示すカディキウスだったのである。
それはどこにあったのだろう?
加治木には
『加治木古老物語』という古文書があって、
名の由来が書いてある。
「神代の昔。
猿田彦の大神が加治木から海にでて漁をしていたところ、
巨大な貝に手を挟まれて、
潮が満ちてきて海底に沈み、死んでしまった。
ところが不思議なことに、
その船の舵(かじ)が流れ戻ってきたので、
人々は大神の霊だと考えて、その舵を埋葬した。
すると何と!
その舵が芽を出して楠の大木になった。
そして毎年、種を落として芽をだし、
新しい船をどんどん造れるようになり、
それで漁をし、船を売り、貿易をして富み栄えた。
これはやはり大神の霊が生き返って町を
守って下さったのだと人々は感謝し、
そのもとは舵が木になった奇跡にあるというので、
カジキを町の名にした」と書いてある。
舵の日本語は「カジ」。
この場合はカディキウスは「船の支配者」、
船は舵が命令するとおりに進む。
語源がカディキウスであることは動かない。
発音が少しちがうのも、
薩摩人はカディをカヂ、カチとしか発音しない。
だからカジは、カヂで、
この面からもカディキウスが語源であることは間違いない。
加治木の古老たちが記録した
「船の舵が加治木の語源」だということは、
どの角度から見ても確かな事実だったのである。
これは猿田彦の死後、
加治木の名が生まれたという説話になっているが、
彼が加治木の領主だったことも記憶している。
ここは当時の我が国では最大の商工業都市で、
へルメス信仰の中心地。
隣接する政治首都の隼人に八幡を伴ってきた
ヒルメの主神であるへルメスそのものの化身が
猿田彦の大神であることも間違いない。
とすれば舵が木になった後世に、
カジキという名が生まれたのではなくて、
へルメス文化が入ってきた時、
すでにカディキウスが今の日の丸のような
国章になっていたはずである。
そして日の丸が日の本という国の名になったように、
カディキウスの名が、
この都市国家名にならなければおかしい。
けれどそれは長すぎるのと、
語尾の「ウス」が御主(ウス)という敬称であるため削られて、
簡潔短小を好む国民性(いわゆる薩摩隼人気質)も強く働いて、
カジキだけで国名を表現したと見るのが妥当だ。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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