2013年5月2日木曜日
ギリシャの海神の名をもつ我が国の地名や国名
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
173~174頁
「8章 豊臣政権の嶋津家への敬意」
《ギリシャの海神の名をもつ我が国の地名や国名》
「ギリシャの海神の名をもつ我が国の地名や国名」
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
これで古代ギリシャの国名が「四神」の真意で、
日本語の色の名の起源だとわかった。
ギリシャの海の神々も地名の元になっている。
ポセイドンは百済(ポセイ)出水(イヅン・出雲)。
その王妃アンピトリテ(奄美)(取手)。
海から生れた美の女神アフロジテは
ローマではヴィーナスと呼ばれたが、
それに我が国で当て字したものが
「淡アフ・路ロ・島ジ・国」。
島の名は、またギリシャ人が来たコースも記録している。
ソナカの国語パーリ語では
ギリシャ人をヨーナと呼んだ。
これはイオニヤのイオをYO 、
ニヤ をNIA⇒NA ナ と訛ったものである。
我が国の最西端・与那国島はヨーナなのだ。
YONIA ⇒YO NA イオー ナ=が「硫黄が」(島)になる。
これはさらに、鹿児島弁化して短くなり、
跳びはねて、 YOGA(イオーガ)は「YAT ヤッ」になるからヤッチマ、
すなわち屋久島にもなる。
このヤッチマは「八(ヤ)ッチマン=屋久島の」と使われるから
漢字で書くと「八幡(ヤッチマン)」になる。
こうして次々に謎を解き進んでいくと
屋久島はヤバーナから生まれた名だとわかるし、
与那国島から屋久島までの南の島が、
ギリシャ系の海人たちの世界だったことが
明確に認識できたと思う。
では、そのときやってきたのは、
どんな人々だったのだろう?
確かに南欧のギリシャから来た人たちが
いたこともわかるが、
経由したインドの人たちが一緒に来たことも間違いない。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
《参考》
世界史年表・地図
日本史年表・地図
古代史年表・地図
オリエント史年表・地図
メソポタミア史年表・地図
大シリア史年表・地図
小アジア史年表・地図
ペルシア史年表・地図
イラン史年表・地図
インド史年表・地図
西アジア史年表・地図
"南アジア史年表・地図
中央アジア史年表・地図
北アジア史年表・地図
東南アジア史年表・地図
東アジア史年表・地図
中国史年表・地図
朝鮮史年表・地図
ヨーロッパ史年表・地図
ギリシア史年表・地図
エーゲ海史年表・地図
エジプト史年表・地図
北アフリカ史年表・地図
考古学ニュース
装飾古墳
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿