2013年5月28日火曜日
雑草化している斉彬と帯刀の残した遺産
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
221~222頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《雑草化している斉彬と帯刀の残した遺産》
「雑草化している斉彬と帯刀の残した遺産」
また最初にお話した戦後一時の私の家・
原良(はらら)小松屋敷の付近の田には
薄荷(はっか)(ペパーミント。ミント)が、
それも多種類生えていた。
私はそれと配給の砂糖とヤミ市で買った米軍のまずいガムとで、
好みの美味しいチューインガムを作って、妻に食べさせたが、
一体なぜ、こんな所に、こんな外国産の薄荷が生えているのだろう、
と思い続けて来た。
だが、いま考えてみると、これも斉彬の研究の遺物で、
それを小松帯刀が引き継いで庭に植えていたものが
飛び散った可能性があるし、
彼と結婚した小松近(ちか)が、
香道師範だったことを考えると、
彼女が栽培していた可能性も高いと気が付いた。
小松の本邸は鹿児島市の中央、
市役所に近い東郵便局の所にあったが、
こちらは役宅で家老に相応しい大勢の家臣たちが詰めるところであり、
人一倍、庶民的な帯刀が寛いだ家庭生活のために、
原良の屋敷が造られたのだから、
お近夫人が居て、寛いで庭いじりなどが出来たのは、
私たちの原良邸しかない。
鹿児島市には、誰も余り気付かない、
こんな、斉彬とその後継者の残した遺産が、
今もなお、こんなにたくさん残っているのである。
ではなぜ斉彬はそんな研究をしたのだろうか?
久光派はそれを変わり者、蘭癖、道楽者、浪費者という
悪口材料に利用したが、それは浪費どころか、
国を富ませるための「秘策」だった。
彼の教養はヘルメスとダイダロス以来の高度のものだったのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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