2013年5月31日金曜日
我が家に伝わる可愛い観世音菩薩
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
228~229頁
「12章 官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り」
《我が家に伝わる可愛い観世音菩薩》
「我が家に伝わる可愛い観世音菩薩」
ドラマでも度々登場する嶋津家伝統のお守り、
小さな金銅仏は、
一門全員の常備の品になっていたもので、
我が家にも幾つか伝世しているが、
その中に体長6センチ程の可愛い金銅仏の観音様がある。
もとは金白色に鍍金(メッキ)してあったが、
今では大部分が剥げ落ちて、
所どころ白く輝いているだけである。
しかし小さいのに立派な光背があって、
その裏面には見事な字で
「造像の縁起」が細々(こまごま)と彫ってある。
これは幕末の元治元年(1864年)、
長州軍が孝明天皇を粒致しようと、
皇居蛤御門に押し寄せた時、
皇居守護の総裁に任命されて、
京都所司代の松平容保や新選組まで配下に加えて
長州勢を打ち破り、敗退させて天皇を救い奉った
嶋津備後(斉彬の長子・虎寿丸)が、
そのとき肌身につけていた、お守りなのである。
以後、彼の子々孫々が受継ぎ、
いま私(加治木義博)が保管している我が家の家宝である。
ご参考までに、
その写真と、
その時の戦勝を讃えて
嶋津久光父子が備後に贈った感状とを、
ご覧にいれよう。
後背に彫られた造像の縁起(由来)
建明元年正月二十一日 周萌 敬造 沸像
舘舎 三 父母 嬢子 兄弟 値遇 諾仏 常兄 三賓 共會
「写真」嶋津久光,茂久(忠義)父子が
備後に贈った感状(筆者蔵)
「写真」金銅仏の観音像(筆者蔵)正面・背面
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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場所:
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2013年5月30日木曜日
現実になった不老長寿と幸福への道
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
225頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《現実になった不老長寿と幸福への道》
「現実になった不老長寿と幸福への道」
ところが今、私(加治木義博)はわずかな土地しかもっていないが、
間もなく90歳だというのに、
日常生活は40歳当時と変わらず、
仕事量は妻子が寝たきりのため、
数倍以上に増えているが、
幸いにもそれを完全にこなして、
余暇に本を書き、発明し、事業化も進めている。
これを知ったら始皇帝君は、
やっぱり日本が、その憧れの国だったと、
徐福を許しただろう。
私は、我が国が非常に恵まれた風土をもち、
優れた栄養を蓄えた動植物を、
多数野生させていることを知って、
それを調査し続けてきた。
私(加治木義博)がKKロングセラーズから出版している
『驚異のバイオ植物療法』や
『老いない脳の秘密』などで、
お役に立っているとは思うが、
速効性のあるものが多いので是非、
お試しになることをお勧めする。
いま研究中のものは、
老化ジワや眼の下のタルミがなくなる栄養で、
私はテスト中に外観だけでなく体内までこんなに若返って、
初対面の人はて皆様のお役に立つと、
大きな希望をもっている。
30歳も若く見てくれる。
やがて皆様のお役に立つと、
大きな希望をもっている。
《スメル(シュメール)文明》
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2013年5月29日水曜日
アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
222~224頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《アンチ・エイジングと始皇帝の憧れの国》
「アンチ・エイジングと始皇帝の憧れの国」
国が変わっても不老長寿は人類すべての願いであるから、
薬への需要は永遠に変わることはない。
事実、富山の薬屋が毎年、
嶋津藩に巨額の納金をしていた記録が
富山の製薬組合の古文書の中に残っている。
健康食品はいまブームだといわれるが、
それは古代から人類の関心の的だったのである。
それは飢えれば死に至るし、満腹すれば元気が出て、
老いた者も若返ったようにみえるし、
病気も治ったからである。
だから、人々は懸命に働いた。
努力すればしただけ、獲物や収穫が増えたからである。
ところが暴力でそれを奪う者と、
それから守る武力の持ち主が取り上げる
「税」という「敵」が発生して、
生活は単純ではなくなり、
武力の持ち主は隊長から王になり、
絶対権力のもとに組織を作り、
勢力圏を「国」と称して、
我が国の例で言えば、
百万石とか七十七万石という巨額の米が
収穫できる面積に拡大して、
その私有地の大きさを「大国」と誇るという、
奇妙なものに変形させてしまっていた。
その元凶とも言うべき当時世界最大の領地を手にした男が、
中国・秦の始皇と自称した人間である。
領地の奪取に夢中だった彼も、
ハッと気づいてみると身体が老化してきて先が心配になってきた。
自分がどんなに大量の財産を所有しても寿命は伸びない。
何とかして今の内に「不老長寿の霊薬」を飲まないと、
これまでの大成功も水泡に等しい。
そう気がついて霊薬の所有者を探させたが、いない。
徐福という男がやつてきて
「それは海外の島にしかございません。
私が取って参りましょう」と誓い、
始皇から大金と船団を巻上げて
船出したまま逃げてしまった。
史上最大のサギ事件である。
哀れや!
大皇帝陛下は連日連夜
「福はまだか?福はまだか?」と悩みに悩んだあげく、
間もなく死んだ。
篤姫と和宮もまた、二人とも短命の悲劇の被害者だった。
それぞれの夫・家定が34歳で亡くなり、
篤姫は22歳で、和宮の夫・家茂は20歳で亡くなり、
宮が20歳と、揃って未亡人になる他なかった。
死の前には征夷大将軍も全く無力で空しかった。
人にとって生命はどんな地位、
どんな巨富よりも素晴らしく、
また尊い幸せなのであると痛感する。
「図」除福船出図
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2013年5月28日火曜日
雑草化している斉彬と帯刀の残した遺産
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
221~222頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《雑草化している斉彬と帯刀の残した遺産》
「雑草化している斉彬と帯刀の残した遺産」
また最初にお話した戦後一時の私の家・
原良(はらら)小松屋敷の付近の田には
薄荷(はっか)(ペパーミント。ミント)が、
それも多種類生えていた。
私はそれと配給の砂糖とヤミ市で買った米軍のまずいガムとで、
好みの美味しいチューインガムを作って、妻に食べさせたが、
一体なぜ、こんな所に、こんな外国産の薄荷が生えているのだろう、
と思い続けて来た。
だが、いま考えてみると、これも斉彬の研究の遺物で、
それを小松帯刀が引き継いで庭に植えていたものが
飛び散った可能性があるし、
彼と結婚した小松近(ちか)が、
香道師範だったことを考えると、
彼女が栽培していた可能性も高いと気が付いた。
小松の本邸は鹿児島市の中央、
市役所に近い東郵便局の所にあったが、
こちらは役宅で家老に相応しい大勢の家臣たちが詰めるところであり、
人一倍、庶民的な帯刀が寛いだ家庭生活のために、
原良の屋敷が造られたのだから、
お近夫人が居て、寛いで庭いじりなどが出来たのは、
私たちの原良邸しかない。
鹿児島市には、誰も余り気付かない、
こんな、斉彬とその後継者の残した遺産が、
今もなお、こんなにたくさん残っているのである。
ではなぜ斉彬はそんな研究をしたのだろうか?
久光派はそれを変わり者、蘭癖、道楽者、浪費者という
悪口材料に利用したが、それは浪費どころか、
国を富ませるための「秘策」だった。
彼の教養はヘルメスとダイダロス以来の高度のものだったのである。
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2013年5月27日月曜日
斉彬の科学、有用植物研究とその遺産
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
219~220頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《斉彬の科学、有用植物研究とその遺産》
「斉彬の科学、有用植物研究とその遺産」
こうしたサプリメントや健康食品が鹿児島に多産するのも、
また斉彬のお陰なのである。
私(加治木義博)がタイ国で人工栽培を教えた薬草の霊芝(れいし)と、
同じ発音の茘枝(れいし)が、
薩摩半島の南端、山川に今も聳えているのを、この眼で見たが、
付近の木々にはヤドリギも目立つ。
それも斉彬が中国南部から取り寄せて栽培した遺産で、
山川は、その薬草研究所があった所である。
この茘枝によく似た竜眼(りゅうがん)は
沖縄に自生していて、これも薬草である。
斉彬は所領が高温多湿で、こうした南方植物の栽培と、
加工に適しているのに注目して、
山川の他にも鹿児島市の吉野などに植物園と研究所をつくり、
当時としては他に類を見ない科学的な研究を試みていた。
ほかにも欝金・うこん(莪述・がじゅつ)や、
蘇芳(すおう)など多数を栽培したが、
欝金は今、屋久島から奄美で大栽培され、効果が再認識されて、
今ではこれもマスコミの画面で、賑やかなCMを見るようにになった。
それが後でお話する「仁丹」の事業に発展し、
救命丸や養命酒などを生んだのである。
かつて大阪万博の折りに、結核で入院して衰弱しきっていた私(加治木義博)が、
その病身で住友童話館の展示物制作と設置に、
零下の気温をおして当たることができ、
しかも快癒して開会式に臨めたのは、
カジキゲンノショウコの原草(げんそう)が、
鹿児島に多数の変種になって野生していたお陰であった。
そんな話はここでは省くが、
その多数の変種は斉彬の研究で生まれた
バイオ・テクノロジーの遺産だったのだ。
すでに死んだ斉彬が私を救ってくれたのである。
これだけは特筆して感謝せずにはおれない。
山川町 (鹿児島県)
加治木町(鹿児島県)
霊芝
茘枝
竜眼(りゅうがん)
蘇芳
《スメル(シュメール)文明》
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2013年5月26日日曜日
古代産業都市国家の名残り、健康食品産業
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
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『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
218~219頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《古代産業都市国家の名残り、健康食品産業》
「古代産業都市国家の名残り、健康食品産業」
その南九州文化の象徴・正八幡宮を生み出した
海神(ハイト)の名から生まれた
隼人町に隣接している町が加治木で、
ヘルメスを守り神にし、カディキウスを
象徴にした名残りを残している。
こちらは商工業の先端を行く中心地として栄えたが、
その繁栄ぶりを記録したものに、前述したように
「加治木に似た鹿児島」という古語が浅っている。
戦後すぐに(くろず)や焼酎が全国的に有名になっているが、
黒酢は加治木中心の産業で、
焼酎も我が国の大メーカーは加治木の町から出発したのである。
その縁で私(加治木義博)が選ばれて書いたカラーブックスの
『焼酎入門』が大ベストセラーになり、
焼酎ブームを巻き起こしたのはご存知のとおりである。
このほか、最近流行のニンニク卵黄や、
黒酢もろみも加治多原産であるし、
白砂(しらす)石鹸、その他の原料・シラスも、
古代から桜島火山が降らせた火山灰の堆積物である。
またシイタケの人工栽培に欠かせぬ「ほだ木」を
打ち込むなどの高度の栽培法も、
私(加治木義博)の義理の祖父に当る旧牧園郷士の長・
上井(うわい)五郎左衛門が発明して
明治時代に日本全国を指導し、普及させたものであり、
今スーパーの店頭に山積みされて安くお口に入る
キノコの栽培法も、私(加治木義博)がそれをヒントにして、
戦前に発明したもので、
国内はもちろん広く海外でも生産されているものである。
思えばそれを召し上がった方と私(加治木義博)は、
すでにお付き合いがあたことになる。
わずかだがお役にたてて光栄に思う。
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2013年5月25日土曜日
斉彬のインターネット「琉球」
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
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217~218頁
「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」
《斉彬のインターネット「琉球」》
「斉彬のインターネット「琉球」」
これでおわかりのように、
嶋津氏は禰寝氏一族を臣下に加えたことで海軍力を強化して、
それが慶長一四年(1609)の琉球征伐を生み、
実質上の領地にして国王も臣下にした。
しかし徳川政権が鎖国政策を採ったために、
海外への門戸が閉ざされるのを予測して、
あくまで琉球は外国であるとして、
代官を置いて中国への貢ぎ物を続けさせ、
海外貿易を行ない、収益を挙げると同時に、
国際情勢を知ることに活用した。
嶋津重豪(しげひで)斉彬の海外常識が、
他の諸大名に比べて、はるかに近代化していたのは、
このお陰だったのである。
徳川もそれは知っていたが、
嶋津と戦ってまで鎖国を貰く力もないまま、黙視していた。
嶋津だけは鎖国は問題ではなく、
その船印は海外に雄飛していた。
国旗のことなど頭になかった江戸幕府の首脳部とは、
世界観から違っていた。
アメリカのペリーが来て、うろたえ騒ぐ大名たちの中にいて、
泰然と国策を教えた斉彬の教養は、
無学な殿様たちと雲泥の差があったのである。
その血に濃くヤバーナの文化を秘めた薩摩・大隅隼人たちは、
世界の情報を彼に伝え続けていた。
八幡の名は伊達ではなく、
すでに近代化日本の姿が、
斉彬の頭の中には出来上がっていたのである。
それを生み出したのは、いま情報とアイデアが充満し、
商取引が可能なインターネットと同じく、
世界に門戸が開けていた琉球の、知性に満ちた用い方だった。
現在の沖縄県は米軍の駐留地として、苦痛と利益が半ばしているが、
斉彬の夢が叶い、明治維新が生まれ、
そして沖縄県として我が国の国民権・人権を獲得できたのは、
明、清、中華民国、現在の共産党中国と、革命、戦争、内戦に、
人生と人権と家と財産とを考えれば、嶋津による支配の継続が、
ずたずたに破壊された、沖縄の人々どんなに救ったか、よくわかる。
《スメル(シュメール)文明》
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