2013年2月28日木曜日
世界一質素な帝王「天皇家」の偉大さ
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
63~64頁
「3章 嶋津家の家系と施政哲学」
《世界一質素な帝王「天皇家」の偉大さ》
「世界一質素な帝王「天皇家」の偉大さ」
それは実は、一嶋津家のみの長所だったのではない。
ここに一例としてご覧に入れる、天皇家の「仙洞御所」が、
何よりも雄弁にすべてを物語ってくれる。
この仙洞御所は、京都御所の東南部にある
「大宮御所」と並んで位置する御所の遺跡で、
寛永四年(1627)に造営された後水尾上皇の御所である。
後水尾天皇には、徳川二代将軍秀忠の娘・和子が
元和六年(1620)に中宮となって嫁ぎ、
同九年(1623)に
「禁裡御料(皇室への将軍家の納付金)」二年分、
計二万石を献上しているから、
それがこの御所の建設費に使われたことはすぐわかる
(この年、秀忠は、家光を三代将軍にして隠居した)。
これで、はっきりわかることは、
天皇家は国民に代価を支払っていて、
欧州やインド、アラブの王たちのように、
強権で奴隷労働をさせ、
建築資材も献上させたのではないと確認できることである。
西欧なら、国力の許す限り、いくらでも豪華な宮殿が造れる。
国民にとっては、皇帝は悪魔と変わらない。
ついに堪忍袋の緒が切れて、王族一家を皆殺しにする革命が、
次々に暴発して、現存するのは例外的な王室だけになってしまったのである。
私(加治木義博)が磯の別邸をご案内した北欧貴族は、
こうした根本的な大問題と対策を体感して戻られた。
それ以上に、このことで感銘を深めるのは、
写真ではっきりおわかりいただけるように、御所の質素さである。
それは国民を搾取しないだけでなく、すべてを必要最小限にとどめて、
賛沢を恥とした歴代天皇の帝王学が、
最初から非凡な愛に満ちたものだったからである。
後でくわしく述べるが、それこそが、
八千年前にさかのぼる世界国家ウバイドの建国理念であり、
人類統治の根本的理念だったのである。
国民の生活を見るために、山に登って
「民の竃がら立ち昇る煙の量の少ないのを見て、
その生活の貧窮を悲しみ、三年間、租税を免除したので、
皇居はあばら家と化し、
雨が降るとだだ漏りになり、天皇たちは雨の漏らない場所に、
寄り集まって我慢し、雨のやむのを待つ」
という生活を続けた。
その甲斐あって国民生活が画期的に向上したので、
国民は天皇を聖帝と称えたという記録が、
『記・紀』に大書されている。
この仁徳天皇の記事が、何よりも具体的に、
天皇家の本質を物語っており、
この仙洞御所の写真のように、
歴代の天皇もそれを守られて、
数千年の皇統を継承してこられたことが、
よく理解できるのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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2013年2月27日水曜日
嶋津家の施政哲学と北欧貴族の驚き
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
60~62頁
「3章 嶋津家の家系と施政哲学」
《嶋津家の施政哲学と北欧貴族の驚き》
「嶋津家の施政哲学と北欧貴族の驚き」
後世の本拠は言うまでもなく鹿児島市の城山の下に今も遺跡が残る、
城とは名ばかりの嶋津邸だが、この一見、無謀に見える無防備も、
「人は人垣、人が城」という国是でわかるように、
歴代藩主の武将哲学が、人を威嚇する、こけ威しの軟弱なものではなく、
戦うからには敵に肉を斬らせて骨を斬るという壮絶なもので、
それが今でも薩摩士魂と呼ばれて畏敬される独特の気風を残している。
それでも藩主は、本邸暮らしを賛沢として避け、
そこは公式の政治業務用の官庁として使い、
鹿児島で暮らすときは、
いま「磯の別邸」と呼んでいる
鹿児島市の東の外れに近い海岸にある屋敷を使った。
そこも、加賀の前田に次ぐ我が国第二位の大大名の邸宅としては、
信じられないくらい質素な邸である。
幸い戦火にも焼け残ったから、
戦後、ノルウエイから観光にこられた女性貴族を案内したことがあるが、
その質素さに終始、驚いていた。
それがなぜかを説明すると、今度は感嘆を繰り返し、
隅々まで入念にご覧になって、
特にトイレには絶賛を惜しまれなかった。
なぜかといえば、
そこは一般にイメージするような特別なトイレではなくて、
お座敷であって、
ただ違うところは便座があって蓋がしてあることくらいだが、
その蓋を取って穴の下を見るとアッと驚く。
そこは高くて、はるか下に便器が見える。
下は明るく、
風通しが良くて臭気がこもらず残らない構造になっているのだ。
彼女は感嘆して「世界最高のトイレだわ!」と折り紙をつけてくれた。
彼女にしてみれば、
世界を相手に戦った大国日本の大大名の邸宅だから、
フランスのルイ王朝の大宮殿のようなものを期待して、
戦後いち早く、
はるばると九州の涯までやって来られたと思うのだが、
その「宮殿」は想像を絶して余りにも質素に過ぎた。
その予想外の展開に、日本人の知性の奥深さをあべこべに教えられて、
非常な感銘を覚え、一時の落胆と後悔は、
予想外の教訓と出会った満足に変わった。
これでこそ遠く日本まではるばる来た甲斐があったと、
帰国後、国民たちに解説して聞かせる楽しい予感に、
もう既に酔ってしまった様子だった。
話は逸れたが、本題の篤姫の思想にも、
この外国貴族を感嘆させたほどの嶋津魂とか倫理観が、
濃厚に熟成していたからこそ、
維新の激動、婚家・徳川家の幕府崩壊、
明治新政府発進という未曾有の激動の中心にあって、
凄まじい精神的葛藤に翻弄され、責め苛なまれても、
そのストレスに負けて崩れることなく泰然として対処し、
ついに輝かしい生涯を全うしたのである。
「写真」磯 嶋津邸(岡田利美氏撮影)
「写真」磯邸での家族。右端が筆者
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/
《スメル(シュメール)文明》
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2013年2月26日火曜日
超大名「嶋津家」は領地の名からきた「名乗り」
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
58~59頁
「3章 嶋津家の家系と施政哲学」
《超大名「嶋津家」は領地の名からきた「名乗り」》
「超大名「嶋津家」は領地の名からきた「名乗り」」
その「藤原氏和泉系図」には、次のように書いてある。
「建久七年、忠久公六月一日鎌倉を立ちて
同八月一日三箇国下向 御年十八歳」
これが前書きで、代々の当主のしるしである赤丸があって、
そこに「忠久」とあり、その向かって右肩に、
異なった筆跡で「島津」と書き加えてある。
それから行を変えて、
「従五位下 左右大夫 判官衛門 宗兵尉佐 豊後守 分国 七箇国
越前 若狭 伊勢 信濃 薩摩 大隅 日向
治承三 巳亥 誕生 御母 丹後局 比企藤四郎義数之姉、
本領六十七箇所 承久 改 惟宗 號 藤原
嘉禄三年六月十八日 乙丑辰 尅 卒 年 四十九 法名 號得佛」
とあり、弟の忠季に続いている。
これがのちの嶋津家の、本来の古い系図である。
これで、もう一つわかることは、
彼は藤原を姓にする前に「惟宗(いそ)」という姓を名乗っていたが、
それを藤原に改めたということである。
嶋津の地名の出てくる古い文書を調べてみると、
長久二年十一月(一○四一年)
「大隅大介」という官名をもった「惟宗某」が
「台明寺山所在の雑木伐採を禁ず」という布告を出している。
忠久は、一二二三年ごろまで、その惟宗の後継者として名乗り、
その後、藤原姓を名乗ったのだとわかる。
彼は日向の嶋津に落ち着いたのではなく、
前領主の名乗る惟宗にいたことになる。
これはなんとも奇妙にみえたから、
古来、嶋津家が源頼朝の子孫だというのはウソで、
本当は田舎代官の惟宗の子孫なのだと思っている人が多かった。
それでいくと嶋津氏は、転々と苗字を変えてきた、
うさん臭い家系だと言うことになる。
だが、いまでは、姓だとして誰も疑う人のない「嶋津」も、
実はいま誰もが思いこんでいる「姓」でも「苗字」でもなくて、
庶民が手軽に使う代名詞だったのである。
日常会話で天皇さん、総理、神主さん、知事と言い、
知事や市長同士の会話では、
親しみを込めて「大阪さん」「兵庫さん」「長野さん」と言い、
幕末の江戸城中で大名たちが互いに
「土佐殿」「薩摩殿」「水戸様」と呼び合っていたのと
少しも変わりはない。
忠久の出発は建久七年だから、
頼朝が三年に征夷大将軍になって四年後である。
十八歳の忠久は鎌倉の父・頼朝のもとから
西国七か国を治める代官に任命されて鎌倉を出発し、
最果ての領地、『惟宗]や『嶋津之庄』のある
薩摩・大隅・日向へ着いた。
だが、我が家(加治木義博)に伝わる史料によると、
惟宗姓を名乗ったのは、何も前領主の姓を
利用しようという浅ましい策略などではなかった。
それは歴代藩主が、質実剛健をむねとして、
大邸宅に住まなかったことでもわかる。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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2013年2月25日月曜日
嶋津斉彬は三十九代目が正しく、二十七代目は誤り
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
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『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
55~57頁
「3章 嶋津家の家系と施政哲学」
《嶋津斉彬は三十九代目が正しく、二十七代目は誤り》
「嶋津斉彬は三十九代目が正しく、二十七代目は誤り」
その系図によると斉彬は三十九代目になっており、
市販の文献に掲載されている系図の二十七代目は誤りであるから、
本書によって訂正しておいていただきたい。
煩雑なので、ここでは名前だけ挙げておく。
一 忠久
二 忠時
三 久経
四 忠宗
五 貞久
六 忠氏
七 宗久
八 師久
九 氏久
十 忠直
十一 氏義
十二 久親
十三 直久
十四 久義
十五 忠勝
十六 忠次
十七 政久
十八 元久
十九 久豊
二十 忠国
二一 立久
二二 忠昌
二三 忠治
二四 忠隆
二五 勝久
二六 貴久
二七 義久
二八 義弘
二九 家久
三十 光久
三一 綱貴
三二 吉貴
三三 継豊
三四 宗信
三五 重年
三六 重豪
三七 斉宣
三八 斉興
三九 斉彬
四十 忠義
四一 忠重
四二 忠秀
また本によっては斉彬を「第十一代藩主」と書く。
これは嶋津藩を徳川幕府の臣と見て、
家康時代の藩主を初代と考えた結果だろうが、
これでは嶋津家は、
それ以前は「君主」ではなかったという誤った印象しか与えず、
予備知識のない学生や、外国人には誤解が定着しかねない。
嶋津家は忠久以来、不変の君主だったのであって、
徳川幕府発生前は関ケ原の合戦で敵味方に分かれていたように、
君主としては対等であり、
関ケ原以後は、講和して外様大名とされたものの、
徳川は所替えも減石もできず、嶋津は戦前のまま旧領を保ち続けている。
「写真」嶋津家正統系図=藤原氏和泉系図
《スメル(シュメール)文明》
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2013年2月24日日曜日
暴風雨の中、庭石の上で生まれた皇子
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
54~55頁
「3章 嶋津家の家系と施政哲学」
《暴風雨の中、庭石の上で生まれた皇子》
「暴風雨の中、庭石の上で生まれた皇子」
私(加治木義博)の家に代々伝わってきた系図は、
嶋津家初代の忠久から始まっているが、
一般に想像されるであろう嶋津家系図とは書いてない。
「藤原氏和泉系図」と書いてある。
不思議に思って父にたずねると、
「忠久公の母・丹後の局は、全国に領地六十七箇所をもつ、
当時日本一の大富豪であって、
後鳥羽天皇の寵愛を受けていたが、
源頼朝の勢力が非常に強くなったので、
後鳥羽天皇はそれを懐柔しようと、
この巨富をもつ美女を頼朝に御下賜になり、
丹後の局は鎌倉へくだって頼朝の妻になった。
ところが妊娠していることが頼朝の妻・北条政子の耳に入り、
怒った政子が刺客を放ったという急報に、
頼朝は直ちに局を船に乗せ、
京へむかって船出させた。
ところが泉州沖に差しかかると海が荒れたので、
とりあえず局の親戚が宮司をしている
摂津住吉大社に泊まろうと上陸して訪れたが、
世情不安の当時、いくら呼んでも叩いても、
呼べば呼ぶほど戸を開けず、耳もかさない。
そのうえ嵐による船酔いと疲労から体調を崩した局は、
にわかに産気づいてしまった。
気のきいた供の考えで、
庭にあった大きくて平らな石を寝床にして、
供の着物を敷き物にし、女御たちが捧げて屋根にした。
そうして、なんとか無事出産したのが忠久だったのである。
住吉大社では、この石を『嶋津誕生石』と呼び、
そのいわれを説明した高札を立ててきた。
丹後の局はこんな事情で天皇のもとへ戻るわけにもいかず、
宮司の本家である京の藤原(近衛)家に入ったから、
忠久は承久三年六月一日、藤原忠久を名乗った。
嶋津家の系図は『藤原氏』とあるのが古く、
また正しい系図で、記載の異なる、それ以外の物は、
この史実を知らずに、後世に作ったものである」
と教わった。
《スメル(シュメール)文明》
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2013年2月23日土曜日
天皇家の系譜(初代~50代)
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
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KKロングセラーズ
47頁
「2章 八千年の歴史をもつ薩摩、そして日本」
《天皇家の系譜(初代~50代)》
「天皇家の系譜(初代~50代)」
鵜葺草葺不合尊─┬─玉依姫 事代主神─┬─玉櫛媛
│ ┌───────┼──────┐
阿比良比売─┬─神武天皇(1)─┬─媛蹈鞴五十鈴媛命 五十鈴依媛 天日方奇日方命
│ │ │ │
手研耳命 綏靖天皇(2)─┬───────┘ 渟名底仲媛命
│ │
安寧天皇(3)───┬───────┘
┌─────┤
息石耳命 懿徳天皇(4)
│ │
天豊津媛命─┬─┘
│
考昭天皇(5)┬余曾多本毘売命
├──────────┐
考安天皇(6) 天押帯彦命
│ │
┌─────┐ 十市縣主大目 └─────┬──忍鹿比売命
│ │ │ │
内色許男命 内色許売命 細比売命─────┬考霊天皇(7) ┬蝿伊呂杼
│ │ │ │
伊伽賀色許売命 └────┬───────考元天皇(8) 稚武彦命
│ └────────┼───────┬┘ │
│ ┌──┴──┐ │ │
姥津媛 └──┬── 開化天皇(9) 大彦命 彦太忍信命 播磨稲日大郎姫
└┬───────────┼────┘ │ │
彦座王 意富亜麻比売─┬崇神天皇(10)────┬御真木比売命 │
│ │ │
八坂入彦命 氷羽州比売命┬垂仁天皇(11)┬弟苅羽田刀弁 │
│ │ │ │
八坂之入日売命─┬───景行天皇(12)──┼────────┬┘
┌────────┤ │ │
弟財郎女─成務天皇(13) 五百城入彦皇子 布多遅能伊理毘売命─┬───日本武尊
│ │
神功皇后─┬─仲哀天皇(14) └息長田別王
│
葛城襲津彦 仲之媛┬応神天皇(15)┬息長真若中比売
├───────┐ │ │
葦田宿祢 磐之媛───┬───仁徳天皇(16) 稚野毛二派皇子
┌───┼──┐ ┌──┴────────────────────┐
玉田宿祢 蟻臣 黒媛┬履中天皇(17)┬幡梭皇女 允恭天皇(19)┬忍坂大中姫命 反正天皇(18)─津野媛
│ │ │ ├──────┐
円大臣 夷媛┬市辺忍歯王 中磯皇女────────安康天皇(20) 雄略天皇(21)┬和珥童女君
│ └───┐ │ │
韓媛─┬──────┼────────────────────────┘ 春日大娘皇女
│ ├──────────┐ │
清寧天皇(22) 顕宗天皇(23)─難波王 仁賢天皇(24)─────────┬──────┘
└───────────┼─────┬───糠君娘
┌───────┬────────────┬────┤ │
春日郎子─武烈天皇(25) 手白髪之郎女┬継体天皇(26)┬目子郎女┌─橘皇女 春日山田郎女
│ ├────┼────┐ │
蘇我小姉君┬───欽明天皇(29) 宣化天皇(28)─┬─┘ 安閑天皇(27)┘
│ ││ └───┐
│蘇我堅塩媛─┬┘└───────────┬石媛命
┌──────┤ ├────────┐ │
崇峻天皇(32) 穴穂部間人皇女┬用明天皇(31) 推古天皇(33) 敏達天皇(30)────┬小熊子郎女
│ │ └┬─────┘│ │
蘇我河上娘 │ ┌─┘ └┬比呂媛命 │
┌─┘ │ │ │
蘇我刀自古郎─┬───聖徳太子─兎道貝蛸皇女 大俣女王┬押坂彦人大兄皇子┬蘇我比売王
│ │ │
山背大兄王 吉備姫王┬茅淳王 舒明天皇(34)┬蘇我法提郎女
┌────────────────────┤ │ │
孝徳天皇(36) 皇極天皇(35) │ 古人大兄皇子
│ 斉明天皇(37)──┬─┘ │
├──────────────────────────┤ ┌─────倭姫王
│ │ │
間人皇女 天武天皇(40) 蘇我遠智娘┬─────────天智天皇(38)─────┬越道伊羅都売
│ │ │ │││ │
│ │ │阿倍橘姫┬────┘│└┬伊賀釆女 │
│ │ │ │蘇我姪姫┬┘ │ │
│ │ ┌────┘ │ │ └┐ │
│ └──┬持統天皇(41) 新田部皇女 元明天皇(43) 弘文天皇(39) 施基王┬紀橡姫
└┬───┼────────┘ │ │
当間山背─┬舎人親王 草壁皇子───┬───────┘ 高野新笠┬光仁天皇(49)
│ ├────┐ │
粟田諸姉─淳仁天皇(47) 元正天皇(44) 文武天皇(42)┬藤原宮子 桓武天皇(50)
│ │ │ ┌─橘古那可智 │
│ │ │
光明皇后─聖武天皇(45)─┬県犬養広刀自│
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