2013年6月2日日曜日
暗殺犯に気付いた御典医・鳥越憲伯
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
232~233頁
「12章 官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り」
《暗殺犯に気付いた御典医・鳥越憲伯》
「暗殺犯に気付いた御典医・鳥越憲伯」
宮尾さんの原作では、
備後(虎寿丸)は5歳で死んだことになっている。
それは鹿児島で短時間取材されたために、
その当時、まだ燻(くすぶ)っているお由羅騒動の残滓が、
信じきってお話したか、造り変えた資料しかなかったためで、
宮尾さんの責任でも手落ちでもない。
なぜなら最初に申し上げたように、
斉彬派の資料は、
大半を焼却して明治以後になっても見つけ次第、
抹殺され続けたからである。
しかし、それは虎寿丸の死を発表し、
葬儀まで出した斉彬のせいでもある。
と言うのは私(加治木義博)は大阪府の文化財保護委員仲間の
鳥越憲三郎・大阪教育大学名誉教授と親交があって、
テレビの古代史番組制作や、
大阪府成人教養大学の講座などでも協力を続けたが、
教授がある日、
「実は私の家は嶋津家の御典医だったんですよ!」と、
驚くような話を始めた。
それは次のような内容だったのである。
「江戸で嶋津家の御典医として仕えていた祖父は、
虎寿丸の容体が只ごとではないと思い、
斉彬公の診察に当ったとき、
お人払いを願って毒を盛られたことは間違いないと報告した
それは他のお子様たちの看護に当った医師たちの見立てでは、
毒に中毒したとしても授乳のさいに、
乳母のお白粉(しろい)がお口に入ったからではなかろうか?
程度の推測で終わっているが、
身共がそれを疑って幼君の排泄物を頂戴して帰り、
小鳥に与えましたところ、即座に死にましたので、
次にお白粉を与えたところ、少し症状が見られたものの、
死には至らず次第に回復しました。
今回の虎寿丸様の場合は、
もうお食事を召し上がって乳母の仕業ではなく、
お食事係りの仕業であると存じます。
毎食、多数の臣下が関わってのこととて、
犯人は誰とは特定できませんが、
少量ずつお食事に毒を盛った者があることは疑いなく、
御善処のほどを……と申し上げた」
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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『言語復原史学会:画像』
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