2013年4月29日月曜日
3世紀に八幡を八坂と読み替えていた漢字知識
出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
スメル八千年帝国の理想郷だった
『言語復原史学会:加治木義博』
KKロングセラーズ
167頁
「7章 超国際人だった古代屋久島人」
《3世紀に八幡を八坂と読み替えていた漢字知識》
「3世紀に八幡を八坂と読み替えていた漢字知識」
掖邪拘(ヤザカウ)は卑弥呼が魏の皇帝から贈られた贈物の返礼に、
伊声耆(イサンギ)=イサナギと一緒に、
正始四年、
魏に行って卑弥呼からの贈物を届け、
率善中郎将という位を受け、
卑弥呼の死後の大乱が収まった後、
今度は壹與の大使として、
帯方郡使・張政を送りがてら、
また魏の都まで足をのばして皇帝に献上品を届けている。
『魏書倭人章』はそこまでで終わっている。
八坂はヤバンと読める。
八幡もまたヤバンと読める。
誰もが八幡をハチマンと読むが、
この二つは同一の名乗りに対する当て字の違いで、
当時の人はヤバーナを野蛮人扱いする中国人を意識して、
八幡を八坂と当て字を変え、
その発音も「ヤザカ」と訓読していたのである。
古代日本人が八幡を読み替えたのは、
これだけではないから、以上は考え過ぎではない。
その証拠として八幡がどんなに多くの名詞に変化したかを、
次に一覧表にしよう。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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